40年以上ニューヨークに住んでいた友人、藤原稔彦くんと会った!

彼とは幼稚園が一緒でその後大学時代に同じゼミの友人を介して再会した幼馴染み。

彼を福井県敦賀市 観光部 人道の港発信室の西川明徳室長に紹介をする事もあり、その前に『にしむら珈琲三宮店」でランチを!

前回彼とは一時帰国の時に他の友人達と共に会って以来の事。

本来奥さんとの帰国予定がお嬢さんが双子の出産した為しばらく奥さんはニューヨークに残ってベビーシッターのため、彼のみ帰国。

 

 

このミーティングは西川室長から第二次大戦の頃、ナチスから逃れるためポーランドからシベリア鉄道で脱出し、その途中財産をソヴィエトの兵士に取られて命からがら敦賀港にたどり着き、神戸にその後来られたファミリーの方と会う予定で、ニューヨークへ出張するので誰かニューヨーク事情に詳しい人物を知らないか?と連絡があり、彼が帰国しているという事で本日になりました。

西川室長とは日本ポーランド協会関西支部の藤井会長から今年の1月に京都でのポーランド大使館の催しで紹介を受けたのがご縁。

敦賀から大半のユダヤ人の方が神戸に来られ、その頃に避難されてこられたユダヤ人を暖かく迎えていた神戸市民のコミュニティーがあり、アメリカ行きの資金もみんなで募って、アメリカへ逃れたという歴史がある神戸、そのことを私も知っていた事で西川室長とご縁が深まったのでしょう。

 

北野町に今日はいらっしゃるとの事だったのでランチ後、約束の場所『Cafe de Paris』ヘ!

オーナーのアジさんとお兄さんのエマニュエルさんから暖かく迎えられ、藤原くんと西川室長を紹介!

こういうときに不思議な事にヘアーとメイクのアーティストの平山葵さんがひょっこりと現れ、また二人に紹介。

日本からニューヨークに行ったユダヤ人を藤原くんは知らないですが、人種の坩堝のニューヨークで体験したり体感した彼からの興味深い話には私も大いに学べました。

その地に住み、政治経済、人種のコミュニティーをよく知る彼の様な人物からの話はまず日本のマスコミからは聴けない話でした。

神戸市民にもこういう歴史を知っていただきたい!

8月28日の『Neo 阪神間モダニズムの会』終了いたしました!

新井俊稀さんと坂口航大さんの素晴らしい歌と演奏、そして新井さんの真摯なトークに皆様大変盛り上がり、素晴らしいひと時でした!

以前から人柄と音楽に向き合う姿勢が大好きだった新井さんに歌ってもらいたいという思いも叶い、ドイツの留学から帰国して間もない新進のピアニスト坂口航大さんの期待を上回る演奏にも感激でした。

浜本事務局長のお孫さんで相愛大学音楽学部でホルンを勉強中のたいようくんのホルン演奏も食事中にあり、飛び入りでうあたわれる方ありと、皆様も楽しんでいただけた今回でした。

特に新井さんの歌の生徒さんでファンの方々が20名もお越しくださり、ずっと笑顔でいてくださり、終了後に温かいお言葉をいただけたことにも感謝感激でした。

 

 

最近、毎日1錠づつ服用し始めた5-ALA!

 

アミノ酸でいろいろな効用を長崎大学の研究チームが研究発表しており、コロナ(Covid19)にも有効なことも発表するけれど、長崎放送のみで他の放送局は一切触れようとしません。

我が家も私が薦めていたのですが、家内が2年間信用しなかったのが、最近気が変わったらしい!

 

 

 

5ーALAは日本酒に最も含まれており、その半分がワイン。

タコとワカメ、黒酢にも含まれており、冗談でタコとワカメを黒酢であえて日本酒を飲むと良いのかも!と言っています。

新型のウイルスにも効果が見られるらしい。

女性には老化防止とミトコンドリア増加にも効果がある物質なので、如何ですか?

ちなみに、菊正宗酒造から甘酒で5-ALAという缶入りも発売されています。

灘五郷の日本酒、よろしくお願いいたします!

定期的な開催のサロン『Neo 阪神間モダニズムの会』を始めてから6年目、色々な多彩な方と知り合い親しくなったり、驚くようなことがやって来たり、相談を受けることが多く出て来ます。

親しくなる方、相談される方に共通に感じるのは非常に豊かな感性をお持ちで話しながら私が勉強になる気がする方ばかり。

年齢は関係なく気持ちの根底に良い意味での遊び心をお持ちで、この会の演奏者にも好感を持っていただきすぐに正会員になってくださる。

男女関係なくこの方々は損か得か?で判断をされない。

むしろ良いか悪いか?の価値判断、それは自分だけでなく他の方々にとっても良いか悪いか?の判断も伴っているような気がします。

素晴らしい国際感覚と社会性をお持ちの方々と出会え、楽しくお付き合いが出来ています。

今日も良い感性を持ったの若い方と色々と話が出来ました。

こういう方々は人口のほんのひとつまみ程度の数でしょうが、これから何か新たなことが広がり、神戸が昔のようなお洒落で独特の国際都市となりそうな気のする思いを持って進みたいです。

今年のお盆は何故か独身だった頃のことを思い出す日々でした!


ほとんどの方が中川宗一さんのお店『デキシーランド』で知り合い、お客の中で最年少だった私を可愛がって下さった年長の方々の顔を思い出す。


 

ある大学の教授が私に「豊ちゃん、音楽はすでに名前が知れ渡っている音楽家以外でテレビに出ていない限り人は集まらないのだよ。絵画などにも言えるけどな。」と言われた言葉を思い出した。

「ここでも見てみいや!こんだけ楽しくて来たら外人は別にして俺や他の日本人連中がアッという間に友達になれるやんか!俺たちみたいにな日本人が何人来てる?常連は15%もいるかな?今日も今のとこ君と俺だけやもんな」

その時のお顔と店の様子まで思い出した。

この頃からすでに日本人は『みんなで渡れば怖く無い』だったのでしょう。

ここに来てお友達になった外国の方々は、英語で話さず関西弁で話す方が多かったので、残念ながら私の会話力は身に付かなかった!


親しくなった父くらいの年齢の方から聞いたジョーク、関西弁で『アンナ、客船に乗って沈没の危険が起こった時に船長がな救命ボートには女子供を乗せる事しか出来ないので男性に海に飛び込めと命令する時、各国別にどう言うか知ってるか? イギリス人にはな、紳士としてお願いしたい!そしたら飛び込む。ドイツ人には船長命令で飛び込め!と言う。アメリカ人には保険がしっかりと掛けてある安心せい!日本人にはなんと言うか?みんな飛び込んだで!といえば飛び込むねん』

笑えるけれどそれが世界の見る日本人なのだと知った!



今も変わっていないですね!

集客に苦労している我が『Neo 阪神間モダニズムの会』

お越しの皆様から、お友達に『みんな来てるで!」と言ってもらいたい!(笑)

中川宗和さんのおかげで独身時代、経済は毎年右肩上がりとは言えまだ1ドルが360円、円安の後進国の日本に居ながら国際感覚を体験させてもらえました。

アメリカもヨーロッパ諸国も遥かに遠い憧れの国、当時の神戸には多くの海外の方々が住み、多くの海外の企業の支店もあったのも幸いでした。

それと佐世保での体験も貴重な経験でした。

Facebookでつながっている中川さんのご子息、中川宗城くんからこの投稿を読み在りし日の中川さんの画像をいただいた。

中川宗和さんを思い出すのもお盆の為せる技なのか?

彼はお父さんが佐世保で働いていたことは聞いていなかったそうです。

佐世保基地での試合の翌日チームの皆さんを送り、そのまま中川さんのお宅に居候しました。

なんとも連日贅沢な思いだったか!

夜はティーケルさんのお店で毎晩2階のステーキハウスでご馳走してもらい、1階のピアノバーで飲みながら楽しませてもらえた。

当時は基地の外国人ばかりが遊ぶ地域の一角で日本人はあまり来ないところ、日本でありながら軍のMPがパトロールをしている不思議な光景の場所でした。

その店には米軍でも将校・下士官クラスの方々が来ており、ほとんどの人がクリスマスボウルを観戦し私の背番号を覚えてくれていたので色々と歓待された!

基地の病院の女性看護師さんからはアメリカンフットボールのプレーヤーは本国では憧れの的なので、それと同じ様な待遇でモテて「明日もいるのか?いつ帰るのか?」と普段経験のない形で囲まれたりしました。モテた経験はこの時が最初で最後でしたが!

戸惑っている私を見て中川さんもティーケルさんもゲラゲラ笑っていた。

 

素晴らしい人柄の将校が店で私の顔を見たら、いきなり声をかけられ、自身を自己紹介され「君は誰ですか」と聞かれたので自己紹介したら「これから弘道館へ行く」と言われたので、「私の住む神戸市の御影が嘉納治五郎の生まれた地で加納家の酒蔵がある」と伝えたら握手を求められました。彼は東京オリンピックに柔道で出場していたと後で知りました。

ある日空母が着きそこの乗組員がどっと店に来ており、そこに空母の艦長と補佐官が入って来た瞬間、全員が起立した「艦長がここはプライベートなのでゆっくりとしてくれ」と言うと全員がリラックスし、艦長とも親しくする姿を見てまるで映画の様だ!と思った記憶がありました。そして12時を過ぎ1時近くになった時。

艦長の補佐官の方が「ここは何時までか?」と尋ね1時までだと言うと「皆楽しんでいるがこの店は1時にクローズする、明日また来て楽しもう!」と言って引き上げる姿がスマートで素晴らしい光景も見た。

この時代までアメリカは健全だった!

その後のベトナム戦争が長引き、大きく変化していくことになりました。

 

ティーケルさんと奥さんにも大事にしていただき、お礼を兼ねてお二人が出かけるときに四人のお子さんのベビーシッターにも行き、可愛い4歳から11歳の男の子2人と女の子2人のお世話もしに行きました。

7歳のお嬢ちゃんからプロポーズされ「私はお嫁さんになる」と言われ、ちょっぴり嬉しかった!(笑)

クリスマスイヴにお宅でのパーティーにも招かれ、クリスマスに飲むエッグノッグと言うカクテルも初めて体験した。

 

竜宮城にいる様な日々が続き、母から「いつまで何をしているの!」と電話が入り31日に学生割引で神戸へ飛行機で帰った!

家には佐世保港の早朝の朝市で買った新鮮な魚類や、五島牛の美味しいお肉をステーキハウスが仕入れているお店で安く購入して帰宅。

五島牛が日本の黒毛和牛のルーツとこのとき聞きました。

 

今の様に自由に海外に行けない時代、クレジットカードの存在すら知らないし海外への持ち出しも500ドルまでの頃、海外を体験する機会を我々若者はなかなか持てなかった。

佐世保のほんの小さな世界でアメリカ人と接し、アメリカの家庭の様子も体験したことは私にとって貴重な思いだったと今でも感謝しています。

 

しばらく中川宗和さんから経験させていただいた貴重な思い出を語らせてください。

 

初めて中川さんと会ったのは大学2年生の時、父から「豊治、上手いピアニストがお前の好きなジャズから古い名曲をを弾いているからついて来い?」と言って連れて行ってくれたのが初めての出会い。話していたら大学の10年ほど先輩でもあった。
父からは神戸一中時代の先生の子息だと聞いていましたが、自分とも縁が繋がっていったと思いました。

 

その店の隣に神戸へ来る劇団が専用に使っていた旅館があり、1階の部分にピアノバーを作る事になって中川さんもそこで演奏することになリました。
そのお店が今は神戸のジャズライブの老舗となった『ソネ』でした。


 

父と母は中川さんを可愛がり、私は彼から弟の様に可愛がってもらい、私のアメリカンフットボールの試合にもよく足を運んでくれた。

当時のジャズミュージシャン特有の気紛れもあり、東京で活動していた時代に知り合っていたアメリカ人の方が佐世保で米軍基地に向けて大きくビジネスをされており、その方がピアノバーを始めるので彼は佐世保に行ったのが私が大学4年生の頃。


父がピアノの件も含めて佐世保に行った時そのアメリカ人のドナルド・ティーケルさんが私のことを父と中川さんから聞き、クリスマスの頃に米軍の基地のチームと試合が出来ないだろうか?と聞かれ、基地の司令官のところに父は連れて行かれ、そこから父が私に連絡して来た。


翌日監督に連絡をして試合が決まった!それもオール関西大学という形で!
交通費も滞在費も全て佐世保の米軍基地が負担してくれて、基地に住む家族も含めて楽しめる様に『クリスマスボウル』という名称で開催するという。


 

神戸の深江からフェリーボートに乗り、早朝小倉港に着くと米軍のバスが待っており、それに分乗して佐世保へ!
ホテルも佐世保で1番のホテルを用意してくれ、ロビーには中川さんとティーケルさんが待っていてくれた。
試合は翌日の午後2時にキックオフと聞き、翌日は人生初の米軍基地へ!

 

1969年はまだベトナム戦争も激しく行われ、アメリカには徴兵制度がありチームの中にはアメリカンフットボールの強豪大学のプレーヤーもいたりしたが接戦の末私たちが勝利した!


勝った瞬間スタンドから観戦している人たちがドット押し寄せて来た!監督はてっきり袋叩きに会うのかと思ったそうですが、皆が素晴らしいゲームだったと褒められ肩を叩かれて逆に驚いていた。


私もこの試合で活躍出来たので、親子が来て子供たちからサインをねだられて驚きでした!


まだ日本ではマイナースポーツでしたが、国技ともいえるアメリカンフットボールに対する価値観の違いなのでしょう!


生涯最初で最後のヒーローでしたが、我が家では誰も信じてくれません!(笑)

 

試合後は基地のクラブハウスで盛大にパーティーが開催され、司令官も来られ暖かく迎えてくれた。

当時の学生には食べたことのない料理がビュッフェスタイルで並び、バーには見たことの無い洋酒のオンパレード、全員興奮しながら楽しんだ思い出でした。


翌日、チームが帰阪する時、私のみが中川さんのお宅にしばらく滞在する旨を監督にお願いしていたので、皆を送って佐世保に残りました。

それはまた後日!

私は楽器の演奏は全く出来ませんが、昔からの音楽好きでサロンコンサートを毎月企画しています。

お呼びする音楽家は私が聴きたい!と思う人をお招きしています。

その方々はプロとして活動しており、私の感性でもプロとして敬意を払える演奏力と人間力もお持ちの方々だと確信しています。

クラシックの方々とジャズの方々をお呼びしており、雑談しているとそれぞれのジャンルのレジェンドたちの演奏も聞いて来られた話題も話の時に出て来ますし、自らの演奏に対してもシビアに評価してして甘えは感じません!

 

しかし、こと音楽や芸術の世界にはプロ検定が無いので、自分でプロと言えばプロなのです。

この名曲がこんなつまらない曲に変わってしまう演奏や、確かに指は動きミスも少ないけれど全く面白く無い演奏のコンサートにも出会って来ました。

幸いYouTubeがあるのでそこで聴くと、この人を聞いてみたいと思う演奏家も多くいます。しかし、その逆は更に多い。

 

 

2週間ほど前、NHKのBSで1919年の世界の都市を巡る番組の再放送でウクライナのキーウ(当時はキエフ)をやっていた。

その時でもロシアから侵略して来ている地域に戦いに行って負傷したりした経験のある若者もいましたが、みんな穏やかで明るい笑顔をしていた。

何人かの若いカップルや街を歩く人が『過去から学ばねば、未来は無い!」というウクライナの格言?らしい言葉を聞いた。

良い言葉だと思う。

 

この言葉を肝に銘じて、過去の偉大な演奏家の演奏を聴き、同じ曲を自分の演奏と聴き比べるとすごく学べると思います。

楽譜上のミスが無くても音楽として成立しない事も学んでほしい。

コンサート好きで色々なコンサートに行っている人の多くが、過去の名演奏家やシンガーのレコードやCDを持っていないのに驚いたり音大生の持っている楽譜やCD・レコードの少なさに驚いた経験もあります。

 

 

この歳になり我が人生を見ると失敗ばかり、成功した記憶はわずか。

あの時こうしておけば良かったのでは?という思いがよぎりますが、失敗を糧に前進しか無いと思って活動しています。

反省のない進化は無い!と思っており、毎回、最高の遊び心で音楽とその後の食事と歓談を楽しんでいます。

今から50年以上前の事、三宮のフラワーロードの南の方に『デキシーランド』というレストラン&ピアノバーがありました。

中川宗和さんというジャズピアニストが経営し、連日彼のピアノを囲んで神戸に住む各国の人々が彼のピアノに合わせて歌っており、古いスタンダードナンバーから、来ているお客の国、スコットランド、ウエールズ、イングランド、アイルランドの古い民謡まで弾いて皆さん楽しそうに歌っていた。

 

したがってお客も80%が外国の方で日本人は20%くらいの比率でした。

スタンダードナンバーの曲はレコードで聴き、歌詞も覚えたりしていたので独身時代の私はその店に週4日くらい行っており、皆さんと一緒に歌ったりしていました。

ケルト音楽などもこの時覚えました!

常連の人とはすぐに仲良くなり、その頃最年少の客だった私は色々な方から可愛がっていただき外国の方から自宅に招かれたり、音楽好きの大学教授などからも招かれたりしていました。

外国人のおばあちゃんから「あなた若いのに、なんでこんな古い曲が好きなの?」と言われながら楽しく通っていました

その店で当時神戸に住まれていた小説家の筒井康隆氏と一緒のテーブルで飲んだり、田辺聖子さん夫妻とも出会ったりもしました。

凄いところでは見知らぬ外国人がピアノを弾き出し、なんとそれがアンドレ・プレヴィンで今の様にネットもない時代だったので誰も顔を知らず、同行の日本人のマネージャーから名前を聞き、全員興奮状態になったこともありました。

神戸でジャズフェスがあり、名前を知る人も少なくなった日本ジャズのレジェンド、トランペッターの南里文雄さん(昔、スイングジャーナルで年間優秀なジャズマンに南里文雄賞というのがありました)ともお話をしていただき、目がご不自由になられていたのでホテルまで送り届けたり、日本のジャズヴォーカルのレジェンド水島早苗さんが当時宝塚音楽学校の先生をされており、時々宝塚の生徒さんを連れて来られた時によくお声をかけていただいた事もありました。

ジャイント馬場が私の隣に座ったこともあり、今では懐かしき思い出の場所。

 

中川さんに個人的なことが色々起こり、5〜6年で店もなくなりその後53歳の若さで亡くなられた。

その時からの友人と度々話す。

 

デキシーランドの様な店はもう二度と出来ないだろうな!と。

今もあれば皆さんをお連れしたい別世界のお店でした。

 

 

時々あの頃の記憶は夢か幻か?と思うことすらあります。

自分でも不思議なほどサロン活動をしてから色々な事がやって来ます。

経営していた会社を整理・精算し、何をしようか?と思った時、サロンコンサートに行っても小規模な会場だというだけでホールで開催しているコンサートと同様で単に演奏を聴き終了したらさっさと帰る。

まことつまらない!

 


せっかく音楽の好きな人が集まっているのだからお茶か食事でも一緒にしたら良いのに!と思って始めたのがきっかけ。


2年ほどはさしたる変化も無く過ぎましたが、少しづつ多士済々な方が出席くださり、更に面白い情報やプレゼンテーションまでやって来だしました。


 

この3年はコロナ禍という事もあり、伸びかけた集客も停滞していますが、それを上回る素晴らしい情報とお話が向こうからやって来て、出席されている皆さんと全て共有できる様にしています。

演奏してくださる音楽家の方々の音楽的レベルにも主催者でありながら驚かされています。

 



こういうサロンが全国至る所で色々な文化的なテーマで開催されて行ったら、素晴らしい国になる予感がいたします。
現役でビジネスをしていた頃と全く異なる分野の多彩な方々とお知り合いになれ、素晴らしい方々との人脈は日に日に増加の一方!

 

先月やって来たお話も含め、神戸が国際都市として復活できる様なことも考えていきたいと思う日々です。