さすらいさんちの話 1/2 | 武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

 

 

 

鶴亀

それ青陽乃 春になれば 四季の節会の事始め

 

正月二日と言うと、反射的に思い出すことが二つある。

一つは「鶴亀」

祖父を中心に、親戚の長老たちをはじめ、伯父、伯母、そしてわが家族の父と母と私。

おせちを並べた座卓の周りに座り、正座して謡を始める。シテ、地謡は全員で行い、ワキは私が勤める。まだ小学生だったさすらい。

それが、一つの恒例行事の一つだったが、もう既に残っているのは私だけになった。

 

二日は、もう一つ「ととろご飯」

秋田生まれの父が、率先して山芋を擦り、味付けも父が行う。おかずは焼鮭。

いつも使う飯椀ではなく、小ぶりのドンブリを使って食べる。スルスルと一杯が二杯に。

 

年末の片付けの中で、亡き母が探していた小皿が出て来た。

明治生まれの祖父は、俳人でありながら謡曲を嗜んだ。その仲間たちが揮毫した皿である。

今となっては、どなたが書かれたかは定かではない。

 

さて昨日は、わが家族が集まった。

カミサンと二人、皆が集まる前にお節の用意をする。これでもかという程の材料があり、老夫婦二人で、休み休み用意して行く。お雑煮は、いつもの鍋ではなく寸胴鍋にいつもの3倍程度作る。息子が大量に買って来てくれたスペアリブ用の肉は、娘が来てから手伝ってくれて圧力鍋。

そしてカミサン得意のちらし寿司は、大きな半切り一杯。

半切りは既に数十年使っているので、輪っかが外れて大慌て。(笑)

 

娘夫婦が到着して、しばらくしてお嫁ちゃんを連れて息子が帰って来る。

11月から入院して、更に転院したが、今回は安定したという事で本日退院してきた。

大きなお腹を抱えたお嫁ちゃんの笑顔が可愛い。孫の偉知は、大勢の人に囲まれて照れているが、数時間して本領発揮。みんなの笑いを誘い、和やかなわが家族。

 

今日は、アルコールは無し。体調が余り良くなく、飲む気持ちにもならないのは、困った症状だ。折角、好みの「浦霞」を買って来たのに。息子からは大きなジャックダニエルをプレゼントされる。

 

食事をして、しばらくすると胃が痛くなり、みなと離れて薬を飲んで横になる。

テレビで「緊急地震速報」が流れ、スマホからも警報音が流れる。盛んに「津波が来ます、逃げろ!」の大きな呼びかけ。

夜になり、被災情報が余り判らないが、建物の倒壊、火災などの様子が見れる。津波は更に事態が判らないが、大津波情報と言うのは大変だと思ってしまう。

 

さてさて、とんでもない正月を迎えてしまった。

また大変な一年の始まりになってしまった。

被災地の方々、北陸、日本海側には知り合いもあり、無事を祈っている。