西郷輝彦さん 一周忌「西郷輝彦さんを偲ぶしのぶ会」 | 武蔵野舟木組 2024

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西郷輝彦さんをしのぶ会、ファン含め600人参列 盟友・舟木一夫「負けるもんかと」ともに走った時代

2022年2月に死去した歌手で俳優、西郷輝彦さん(享年75)をしのぶ会が20日、東京都内で行われ、一般ファンや親交の深い歌手、舟木一夫(78)や俳優、森田健作(73)ら約600人が参列した。1960年代に西郷さんらと人気歌手の「御三家」として活躍した舟木は「若いときからお互いに負けるもんかと走ってきた時代がどれほど良かったか、彼が旅立ち初めて知った」と喪失感を吐露した。

西郷さんの一周忌となったこの日、しのぶ会の発起人あいさつで、舟木は切磋琢磨した盟友に静かな口調で語りかけた。

柔和にほほ笑む遺影に「輝さん」と親しみを込めて呼びかけ、「今でも吹っ切れない。自分が現役で歌う間、輝さんは過去にはならない」と存在の大きさを表現した。

舟木は西郷さん、橋幸夫(79)と「御三家」と呼ばれ、さわやかなルックスと歌声で高度経済成長期にアイドル的人気を集めた。西郷さんとは電話などで連絡を取っていたが、多忙だったため約1年前に初めて2人で食事をしたという。当時、西郷さんはがんで闘病しており「大丈夫ですか?と聞いたら、大丈夫な訳ないだろ!って。言葉を選ばずに話せて、2人の距離の近さを感じた」と振り返った。

★主な参列者 舟木一夫、大村崑、三田明、森田健作、デヴィ夫人、山本リンダ、瀬川瑛子、尾藤イサオ、野村将希、高島礼子、コロッケ、湯川れい子、角田信朗、石井ふく子、相澤正久 (順不同、敬称略)

 

 

日刊スポーツ

舟木一夫「旅に出ちゃって初めて分かった」西郷輝彦さんと切磋琢磨した時間の大切さ 偲ぶ会

昨年2月20日に前立腺がんのため75歳で亡くなった、歌手で俳優の西郷輝彦さんを偲ぶ会が一周忌を迎えた20日、都内で開かれ芸能界をはじめ著名人、ファン合わせて600人が参列した。

西郷さんと橋幸夫(78)と御三家と呼ばれた、会の発起人の舟木一夫(78)は「負けるもんかってやっていた時期がどれだけ大切でいいものだったかは彼が旅に出ちゃって初めて分かった」と惜しんだ。西郷さんの妻の今川明子さん(57)は「両親を大切にした優しい息子であり、子どもと、ちゃんと向き合ってくれた父親で私たちは、とても幸せでした」と語った。

 

デイリースポーツ

西郷輝彦さんをしのぶ会 御三家・舟木一夫

「遊んでないで戻ってこいよ!」「まだ吹っ切れてない

 昨年2月に前立腺がんのため75歳で死去した歌手で俳優の西郷輝彦さんをしのぶ会が命日となる20日、都内で営まれ、ともに御三家として活躍した歌手の舟木一夫(77)ら約600人が参列した。会の最後は、西郷さんの代表曲「星のフラメンコ」が演奏され、参列者たちが青いサイリウムを振る“ラストコンサート”に。ドラマ「どてらい男」で共演した大村崑(91)が爆笑秘話を明かすなど、おのおのが故人との思い出を振り返った。

  ◇  ◇

 同時代を駆け抜けた歌謡界の仲間たちも西郷さんをしのんだ。

 御三家として切磋琢磨(せっさたくま)してきた舟木は「まだ吹っ切れてない」と吐露。15年ほど前から電話や手紙でのやりとりを繰り返してきただけに「電話をしたら『えい』って出そうな感じがする。『遊びほうけてないで帰ってきてくださいよ』と言いたい」と瞳を潤ませた。

 御三家にプラスされて四天王と呼ばれた三田明(75)は、全国ツアーで酒席を共にしてきた。幾度も朝まで飲み明かし「デビュー当時の話をよくしてくれました」と回想。目を赤くさせ「(まだ言葉を)かけたくない。悔しい」と首を振った。

 他にデヴィ夫人、山本リンダ、尾藤イサオ、野村将希、森田健作、コロッケ、角田信朗らが参列した。

 

 

スポーツ報知

西郷輝彦さん一周忌にしのぶ会 600人が参列

 妻の明子さん(57)ら親族の「作り込まず、自然の色合い、明るいイメージで」という意向で、祭壇はピンク色のバラ、白菊、胡蝶蘭(コチョウラン)など約2000本で彩られた。遺影は、19年秋にカレンダー用に撮影された穏やかな笑みを浮かべる写真を使用。場内にはレコード、大好きだった故郷・鹿児島の芋焼酎、ディナーショーで着用したスーツなどゆかりの品200点以上が展示された。

 発起人で西郷さん、橋幸夫と共に「御三家」と呼ばれた舟木一夫(78)は「ケンカ友達を亡くしたような。若い時から『負けるもんか』と思いながら走ってきた時代が、どれほど大切でいいものだったか。彼がどこかに旅して(=亡くなって)初めて分かったところはあります」と惜しんだ。

 15年ほど前からは2、3か月に1度電話し、手紙のやり取りもしていた。舟木は「言葉を選ばずに話せる。昔の風景も今の風景も分かるから。思いもかけず距離は近かった。いなくなって、よく分かりますね」とポツリ。「今も電話したら出そう。ステージをやると『おい輝さん!』と、ここ(=隣)に立ってほしくなる」と寂しげに語った。

 在りし日の映像が流れる中、渡辺雅二氏のピアノ、と関淳二郎氏のギター生演奏によってデビュー曲「君だけを」、ヒット曲「星のフラメンコ」などが

 

西郷輝彦さんしのぶ会、事務所後輩・森田健作「本物のスター

『さらば涙と言おう』を歌いたかった」

西郷さんの在りし日の映像が流れる中、渡辺雅二氏のピアノ、関淳二郎氏のギターが奏でるデビュー曲「君だけを」で開演。妻の明子(あきこ)さんら親族の「作り込まず、自然の色合い、明るいイメージで」という意向に沿って、祭壇はピンク色のバラ、白菊、胡蝶蘭(コチョウラン)など約2000本で彩られた。

 遺影には、カレンダー用に2019年秋に撮影された穏やかな笑みを浮かべる写真を使用。場内は西郷さんのレコード、大好きだった故郷・鹿児島の芋焼酎、晩年のディナーショーで着用したグレーのスーツなどゆかりの品200点以上が展示された。

 所属事務所サンミュージックの後輩・森田健作は「私が19歳の時、創業者の相澤(秀禎会長)が(西郷さんの)マネジャーをやっていたんです。当時、月刊平凡のグラビア(の撮影)で国立競技場で写真を撮っていただけるということで待っていたんです」。相澤さんの運転するサンダーバード(フォード)から颯爽(さっそう)と降りてきたのが西郷さんだった。「これが本物のスターなんだな。そういうオーラを感じて、(オレも)サンミュージックで頑張らなきゃいけない!というのが初めですね」

 亡くなる3、4年前には一緒に食事をする機会があったという。「私、『星のフラメンコ』を歌ったらうまいですよと伝えたら、(森田の代表曲の)『さらば涙と言おう』を一緒に歌おうよと。これが最後の会話だったですね」と回想。「何というのかな…本物のスターですね。1回でも良かったから、一緒に『さらば涙と言おう』を歌いたかったな。大変お世話になりました」と話した。

 

オリコンNEWS

西郷輝彦さん偲ぶ会がしめやかに 発起人の舟木一夫

「けんか友達を亡くしたよう」 森田健作ら600人が参列

 
 
 

昨年2月20日に前立腺がんのため死去した歌手で俳優の西郷輝彦さん(享年75)を偲ぶ会が20日、都内のホテルでしめやかに営まれた。

【写真】懐かしの写真やライブ衣装まで…祭壇近くに飾られた西郷輝彦さんの“思い出”たち

 祭壇は、2000本のバラや白菊とスプレー菊などの花で彩られ、自然な色合いで明るいものをイメージした。遺影は2019年秋にカレンダーの撮影に撮られた写真となっている。1番優しい素の表情をしていたことから選ばれた。

 会場内には、レコードやカセット、ポスターや200点以上の縁の品を展示。グレーの衣装は晩年のディナーショーで着用していたものという。また、献杯用のお酒として、西郷さんが大好きだった芋焼酎を取り寄せていた。

 偲ぶ会には、関係者やファンなど600人が参列。森田健作や山本リンダ、デヴィ夫人、コロッケらが西郷さんを偲んだ。発起人としてあいさつも行った舟木一夫は、共に御三家と呼ばれ一時代を築いた西郷さんについて「亡くなられて一年経っても、全然距離が遠くなってない感じがする。言ってみればけんか友達を亡くしたようで、『お互いに負けるもんか』と走っていた時代がどれほど大切だったか。なくして初めて分かった」と胸の内を明かす。最後は「舟木一夫もそう遠くないと思いますが、あんまり早く呼ばないでよ!」と天国の西郷さんへ語りかけていた。

 西郷さんは1947年2月5日生まれ、鹿児島県出身。1964年2月、「君だけを」でデビュー。同年に「君だけを」「17才のこの胸に」で『日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞。66年には「星のフラメンコ」がヒットした。同時期にデビューした橋幸夫、舟木一夫とともに“御三家”と呼ばれた。また、1987年にNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』、連続テレビ小説『わかば』に出演するなど俳優としてドラマ、映画、舞台に出演するなど、多方面で活躍した。

 プライベートでは1972年に俳優の辺見マリ(72)と結婚し、81年に離婚。長女は辺見えみり(46)。その後、1990年に19歳年下の女性と再婚した。また2011年に前立腺がんの摘出と治療を受けていたほか、2021年4月末にがんの最先端治療を受けるためオーストラリアに渡っていた。

 

スポーツニッポン

西郷輝彦さん偲ぶ会 「御三家」舟木一夫が寂しさ吐露

「今でも吹っ切れていない」

 
 昨年2月20日に75歳で死去した歌手で俳優の西郷輝彦さんを偲ぶ会が20日、都内のホテルで行われた。会場には歌謡界の「御三家」としてともに活躍した舟木一夫ら著名人やファン約600人が集まり、国民的人気を博したスターとの別れを惜しんだ。

この日はちょうど一周忌にあたる。自然な色合いで明るいイメージで作られた祭壇は、ピンクのバラや紫のトルコキキョウ、白の胡蝶蘭など約2000本の花が飾られ、中央には優しく微笑む西郷さん。遺影は、2019年秋のカレンダー撮影でのもので、優しい素の表情を見せていることから選んだという。

 会場には、テレビプロデューサー石井ふく子ら発起人のほか、森田健作、高島礼子らが参列。舟木は会のあいさつの中で「今でも吹っ切れていない。今も電話かけたら“どうも”って出てくる気がする」と一年経っても寂しさは変わらないと語った。その後の取材でも「自分がステージをやると、やっぱりここへ立って欲しくなる」と横を指さしながら見つめた。「自分が現役で歌っている間は輝さんのことだけが過去にはならない。そんな気がする」と話すと会場は大きな拍手で包まれた。

 会では俳優の大村崑もあいさつ。西郷さんが、俳優として活動し始めた頃からの付き合いだったという。「この世界は教えてもらえない。喜劇の先輩は見て覚えろと言っていた。でも、彼は懐いてきて“教えてくれ、教えてくれ”と言うんですよ。だから、面白くて」と人柄を明かした。中でも「面白かったのはくしゃみ」といい、「(西郷さんは)くしゃみが出ない。くしゃみをすると、“うまい、どうやってやるんですか”と顔をのぞいてくる。教える方法がないから自分で考えてやらないと、言ったら、(くしゃみを)“売ってください”って。できないままで終わっちゃった」と振り返った。会でのあいさつの最後には、西郷さんに向けてくしゃみしてお別れをした。

 会場にはレコードやポスターファンクラブの会報やアルバムなど、ゆかりの品200点以上を展示。晩年のディナーショーで着用したシルバーの衣装も、歌う西郷さんの写真パネルの前に展示された。妻の今川明子さんは「両親をとても大切にし、最後まで寄り添う優しい息子であり、子供たち、1人1人とちゃんと向き合ってくれた父親で、私たちはとても幸せでした」と話した