さすらいさんちの話 9/20 | 武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

なぜか大事に保存しているニャロメのバッジ

 

時代の流れを頭の中だけの記憶で感じていると、それは漠然としたもので、確かな事か不確実な事かが検証する事は中々出来ない。ネット環境が充実し、紙ベースで調べる事無く、ネットの検索機能を使えば、調べたい事だけではなく、その周りまつわる事柄まで判ってくる。更に枝を辿って行くと、思わぬ事まで判ってきてしまう。そうした便利な世の中になった。

 

さて、さすらいの中では、ブログを長く続けている事から、ネットなどには載らない私的な記憶までも振り返る事が出来る。ブログを始めた理由には、そうした備考録と考えていたのがブログを始めた初期の考えだった。だから、父の死の時の感情や、突然倒れて数日間危篤状態で死を待つだけの時間の事。更に彼女が、献体を考えて、身体の殆どの部分を提供した時の事など、詳しく書き留めた。それでも、それ等を10数年経ってもじぶんで読み返す事は出来ないでいる。

 

写真も必死に撮った。毎日カメラを手放した事はなく、街歩き中も気になる事は全て写真に撮った。そしてブログに上げる写真は、1枚と決めていて、その一枚で全てが判る様な写真を撮ろうと心掛けた。

「百聞は一見に如かず」の気持ちでいた。

 

10数年の変わりようで気になっているのが、YouTubeなどで上げる映像だ。10数年前は、YouTubeでアップされた映像を沢山ブログで使わせて貰ったし、自分でもYouTubeにアップしていたが、当時は直ぐに削除されてしまった。著作権、肖像権などの権利の問題で削除され、その内さすらいのアカウントも削除されてしまった。

 

それがどうだろう、当時削除されてしまった映像などは、大量にアップされているし共有で使える状態になっている。今では、ネットの社会が世の中を動かしている時代だから、削除要請をしていた権利者たちも、諦めたのだろうか。10年近く映像をブログでアップする事は控えて居たし、映画でもテレビでもの映像をYouTubeにアップするユーチューバーには、過去のアカウント削除があるものだから腹を立てたりもしていた。時代の変化は、こうした事でも感じる。

 

ブログの文章は長ければよいと言うのもではない。(今は全然違うが 笑)出来れば300字程度で収めるのが、正直読んでもらえるブログになると思っている。1枚の写真と短い文章で、伝えたい事が判るようにすれば一番良いのだが、どうしても最近は長くなる。それはつらつら過去の記事を眺めていると、その自分の変遷が判ってくる。

 

武蔵野舟木組のブログは、特殊な舟木一夫と言う人にスポットを多く当てているので、資料とかの記事が多いので、思い通りの自分の意思とはそぐわないのだ。

 

最初に書き始めたブログ「逢えるじゃないかまた明日」から、舟木一夫と言う人に特化した「武蔵野舟木組」枝分かれしたが、また再び、逆の枝分かれで、自分の思い通りのブログを再び構築しようかとも考えている。

写真一枚、に短文、一日一記事。