さすらいさんちの話 9/3 | 武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

 

身長の話

 

 

令和になった今の時代、さすらいより大きな若者には沢山出会うが、昭和の団塊の世代のさすらいは、今よりは若者が多かったにもかかわらず、さすらいより背の高い人と出会うのは稀だった。

 

昨日病院の帰りにタクシーに乗ると、運転手さんが「お客さんずいぶん大きいですが何センチありますか?」こうして聞かれるのはいつもの事で「六尺二寸」と冗談込めて言う事はあるのだが、昨日は素直に身長を答える。「父が大きかったんですよ。大正生まれで172センチあったから」と言うと、「そうですか。私も父も大正生まれで172センチあったんですよ」と運転手さん。

「母も大正生まれで165センチあったから、母の影響を受けたみたい」と言うと、「私の母は小さくて150センチほどでした」との事。運転手さんの父親も剣道をしていたそうで、5段だそうです。まぁ我が父は数段上だからあえて言わなかったが。

 

正直、身長を聞かれても最近は答えに困る。それまでは188センチと答えていたが、最近は縮んで186センチほどだ。実際は188.8センチあったから、3センチ近く縮んでしまい、直ぐに186センチと答えるのには違和感がある(淋しいのだ 笑)

 

さて身長は、8割が両親の遺伝で、特に母親が背が高いと高身長に遺伝するようだ。大正12年生まれの母親の165センチはかなり大きい。背が高い事を母は自慢するほど嬉しかったようだが、晩年病気をして152センチしかなく、それが悲しくて仕方なかったようだ。

 

大正生まれの両親の間に出来たのがさすらいで188センチ、妹が170センチ。カミサンが165センチ。

カミサンとの間に出来た息子が191センチで、娘が175センチと、しっかり遺伝と思われる数字が出ている。息子を見上げて話をした時はショックだった。(笑)余り見上げて話をする事など無いから、同じ家に見上げる人間がいるのは、慣れていないので最初は疲れた。(笑)

 

我が父も、当時の人間としては背が高かったから、「どうして大きくなった?」と良く聞かれたようで、そんな時は「米粒を全部タテに食べたからだよ」と相手をはぐらかしていたのを覚えていて、さすらいも、しっかりそれを受け継いで、聞かれると使っている。最近は米粒を横に食べているから、一向に腹のでっぱりは引っ込む事がない。

 

昭和の時代の雑誌に、こんな広告が良く出ていたものだ。

本当に伸びるのかと思ったものだが、背の高さでコンプレックスを持っている人は、必死だから何でもやったのだろう。しかし背が高い事でもコンプレックスはある。背が高い事で、ジロジロ見られるのは、10代で臆病だったさすらいには、とっても嫌だった。

着る服がない。履ける靴がない。日本家屋の鴨井の高さは175センチほどだから、鴨居に頭をぶつけるなど日常的な事。高い所の作業は必ず頼まれるなどなど。

 

服のサイズはLLサイズ止まり、靴は27センチまで。靴下だって27センチが主流。

大きな服は、横に広いキングサイズで、背の高い人様に服はない。今では3Lも4Lなどもあり、専門店では9Lまで有ったりする。靴も28センチまでは多くなったが、28.5センチのさすらいにはそれでも小さい。若い頃は、27センチを無理やり履いていたから、踵はいつも靴づれ。暫くすると靴の方が伸びてくれるから、普通に履けるようになる。(笑)新宿の大型靴店に革靴を買いに行ったら2足しかなく、値段も通常の1.5倍。母と一緒に行ったが、申し訳ないので買うのを諦めて27センチを買った事もあった。

 

靴下は伸びるから27センチで良さそうなものだが、踵の厚い部分が踵には届かず、直ぐに穴が開いた。

袖の短い服も良く着ていたしYシャツなども困った。成人式の時に祖母が着物を作ってくれたが、1反では足りず、これもまた袖の短い着物になってしまった。

 

いろいろあって、背が高い、身体がデカイと言っても、沢山のコンプレックスを持って今まで生きて来たのだ。(笑)