デビュー当時を良く知っているマネージャーだった福岡さんが登場。
福岡さんの家系は公家の出で、そこから舟木さんが付けたあだ名が「釘」公家って顔じゃないから釘と付けたらしい。当時は10数人のマネージャがいたが、皆にあだ名をつけたのが舟木さん。他にも「ウニ」トカ「ウメ」とか付けていたようだ。
福岡さんは京大出で、まだ有限会社だった頃のホリプロに入ってお金がなく、舟木さんの下宿に居候。舟木さん曰く、「この人は1週間も同じ靴下を穿いていて、下着なんか溜まって来ると、その中彼綺麗そうな下着をまた来たりしていた」と。
舟木さんのパンツなどには「成幸」と書かれていて、たまに福岡さんが舟木さんのを内緒で拝借していた。ある時風呂屋に一緒に行って、舟木さんにばれてしまった。というエピソードを語った。
福岡さんが舟木さんに悪い事をしたと思っている事がある。
それは一緒のホテルに泊まった時に、イビキで舟木さんを寝かさなかった事があり、その事を反省しているという。舟木さんは最初は間に机を立てなるべく聞こえないようにしたが、一向にイビキがやまず、足で蹴飛ばしたりしていたが、全く福岡さんのイビキは止まらなかったとか。
そして最後は、当時の舟木さんの新曲「人生半分」の歌唱で終了。