舟木一夫 あの日、あのとき・・・㉑「あの伝説の若大将がエレキ指南」 | 武蔵野舟木組 2024

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               さすらい

 

 

さすらいが、10代から20代と憧れたのが加山雄三さんだった。

「君といつまでも」が大ヒットして国民的に有名になったが、それ以前から加山さんの映画を見てファンになったと言って良い。初めて見た映画が「日本一の若大将」で、これですっかりファンになった。その後も若大将シリーズは全て見ている。ただコンサートには一度も行った事はない。

 

当時思ったのは、有名俳優を父に持ち、おぼっちゃまでありながら、スポーツは万能、歌の他に作曲も出来楽器を弾けるし英語は堪能で、スーパーマンのような俳優さんだと思っていた。出演する映画はワクワクしながら追い掛ける様に見ていた。ざっと見た限り50本ほどの映画を見ている。

 

「赤ひげ」より

 

黒澤明監督作品の「椿三十郎」「赤ひげ」どちらも三船敏郎さんとの共演であり、「赤ひげ」でデビューする内藤洋子さんとも共演。思い出の作品を挙げればきりがない。

 

 

何んといっても「君といつまでも」がヒットした背景には、舟木さんも言われるように加山さんの台詞の部分。「幸せだなぁ~、僕は君といる時が一番幸せなんだ」

「夜空の星」という曲は中学生の時に作曲したと言うから凄い。

 

舟木さんとの写真は一枚も持っていないが、二人の関係を考えてみると、第8回日本レコード大賞の時だ。舟木さんの「絶唱」が大本命とされていたが、大ヒットしたのが「君といつまでも」で最終的には350万枚売れた。どちらが大賞かと思われたところが、結果レコード大賞を獲ったのは橋幸夫さんの「霧氷」に決まり、「絶唱」は最優秀歌唱賞になり、「君といつまでも」は特別賞だった。

 

ビートルズが来日した時に滞在したヒルトンホテルに加山さんが訪問している。世の中武道館のビートルズの話題で持ちきりだったが、コンサートの当日、舟木さんは渋谷公会堂でコンサートを行い、客席の数では劣ったものの、渋谷公会堂は満員だったと言う。

 

 

やはり加山さんとの思い出の一番が「俺の空だぜ!若大将」でのエキストラでの出演。

学生役で参加した。調布飛行場で行われたパラシュートの降下訓練。世田谷のオークという喫茶店での洗車。格納庫で行われたパーティ。この時に4枚組のアルバムを持って行っていて、加山さんにサインを貰った。今でも大事に取ってあるアルバムだ。田中邦衛さんにも、当時毎日被っていた綿のテニス帽子のてっぺんにサインを貰った。

 

8月末に加山さんが誤嚥性肺炎から軽いの脳梗塞を起こされた。

とても心配だが、いつまでも若大将として元気でいて欲しいものだ。

 

有島一郎さんがまだご存命の頃の加山さんのコンサートに出て来られた時「40代には40代の青春があり、50代には50代の青春がある。60代にも60代の青春がある」と仰ったのを思い出す。まだまだ70代は70代の80代は80代の青春があると、加山さんは思われているだろうし、さすらいもそう思っている。

 

「俺の空だぜ!若大将」の予告編がYouTubeに載っていて、かすかにさすらいも映っているので、次のブログで載せようと思う。