さすらいさんちの話 8/7 | 武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

 

7月の長雨の後、8月に入り蝉の声が、やっと聞かれるようになった。

今朝も我が家の門扉に、蝉の抜け殻があった。暑さも増し、マスク生活で、息苦しさが増してくる。今日は昨日より気温が上がり猛暑になると言う。来たばかりの夏だが、秋が待ち遠しい。

 

青陽人は、69歳で亡くなった。9月の朝、寝ている部屋の雨戸を叩く音がする。私より6つ年上の、まだ大学生の叔父だった。そこで告げられたのが、祖父青陽人の危篤の知らせで、父と母、そして私の3人は、1キロほど離れた母の実家に走る。

 

母の自転車に乗り、祖父に謡曲を習いに行くいつもの道。帰りの夜道では、蛍が飛んでいる道。両脇は茶畑の道。中央線の線路を越えて走る。人間の死に姿を逝くのを始めてみたのは、この時だった。

 

青陽人の句に「元日や 我をしのぎし 孫の丈」がある。

中学2年の私の事を、この年の元旦に詠んだ句だった。

 

「万葉の 世にいる虫よ 石ころよ」青陽人の墓の隣に句碑が残る。

私は青陽人の享年69歳になったら、自分も死ぬと漠然と思って生きてきた。だからその歳になって、ガンの疑いがあり入院した時は、覚悟を決めていた気がするが、幸いガンではなく生き延びている。

 

「赤とんぼ まだ恋とげぬ 朱さやか」の句に接したのは10数年程前だ。

青陽人の代表作には「天の川 大風の底 明らかに」「元日や 水巴先生 麹町に」があるが、赤とんぼの句は、なぜか祖父の清々しさが伝わって来る。

 

「おさじ コロコロ 水の中」5歳の私が言ったのを聞いて、青陽人に褒められたのは、私の誇りでもある。

俳号の青陽人は、謡曲「鶴亀」の冒頭にある「それ青陽の 春になれば 四季の節会の 事始め・・・」

宝生流の能を修行していた祖父だからこそ付けた俳号である。