参加者の感想から  | 秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~

秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~

修験道や武術などの修行を通じて、感じたことを気まぐれに記します。
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天川大峯修験ワークショップに参加された

皆様からの感想です

よろしければ御覧くださいませ

峯龍



初めて参加した天川大峯修験ワークショップ。


普段は曼荼羅小屋での勤行ですが、

大峯山龍泉寺本堂でのお勤めは

感慨深いものでした。


又、登山登拝組が無事に帰宅し

お勤めをしている姿は涙が溢れました。

有志に感無量でした。


自分の趣味でやっている登山と重ね合わせ

登山前登山後、お経こそ唱えませんが

感謝や祈りの念に修験の精神が重なりました。


自分は修験道の精神が好きだと、

再確認出来ました。そこが嬉しかったです。


スモールステップで、

日々の生活に修験の精神を活かしていきたいと

思いました。


3日間、有意義な時間を有難うございました。


(伝承会員)40代




お疲れ様です。


この前はワークショップにて

貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。


初参加ということで、

少し日常離れした雰囲気に

初日は緊張や不安がありましたが、

先達の方が

「皆、大峯に呼ばれて来ている」ということを

言われていて、

ここで体験することや感じるものには

何か意味があるのだと、

思えるようになりました。


山上ヶ岳では、

有難いことに裏行場をまわったり、

秘仏秘密行者尊を拝観するこどができました。

これも皆様のお力のおかげだと感じます。


ここで一番感じたことは、

いつも誰かの支えがあって生きることができている、ということです。


西の覗きにて、足を支えてくれているから、

ロープを持ってくれているから、

生きている...

という経験がよりそのような

感情を具体的な形にしてくれたと思います。

裏行場での体験や道中の皆様のサポートも

同じですね。

いつも1人で登山をしていた時はこのような

感情にはなれませんでした。


癒しだけでなく、

様々な学びを与えてくれるお山はやはり

何か大きな力を感じます。

先達の方が言われていた、

「山は御神体」という言葉が少し分かったような

気がします。


この3日間全てが、自分と向き合う時間となり、

「生まれ変わり」のツールとなったと思います。

日常の中でもいつも自分の弱さと向き合うことや、ご縁を大切にすることを忘れずに過ごして

いきたいです。


これは関係ない話かも知れませんが、

先日、母親に自分の性的マイノリティのことと、

パートナーのことをカミングアウトしました。

親に正直でありたい、とワークショップの後に

不思議と感じたためです。


改めて、このような素晴らしい体験をさせて頂き、皆様に感謝申し上げます。


(一般参加)30代




大峯ワークショップの感想です..

 

登拝修行はもちろん素晴らしかったですが、

私が感激したのは、あたらし屋で

みなさんがほっかりとした

温かい雰囲気の中で本当の家族のように

(一部の人は思い当たると(^-^;)

和気あいあいと過ごされていた事です

 

あの温かい雰囲気は今年の3月の古道修行の時と

同じだったので今回も神仏のお守りが

あったのでしょうね

この歳になって思いがけず、

みなさんとご一緒にああいう温かい時間を

過ごす事ができた事は

一生の良い思い出といしたします


(会員)60代




秩父曼荼羅小屋様


今回初めて参加させていただきました。


曼荼羅小屋の皆さんがたくさん

サポートしてくださり安心して

大峯修行に取り組めましまた。


山上ヶ岳で表行場や裏行場を実際に

体験することができて

とても良い経験になりました。


西の覗きでは親孝行と

勉強するの事を誓いました。


裏行場では人生で初めて

死ぬかもしれないと思いました。

こんな怖い事をしたので日常生活での

怖い事が少なくなりそうです。


今回学んだ経験を日常の中で活かせるように

意識していきます。


(一般)高校生




早いもので6回目の大峯ワークショップに

参加となります。


今回、過去に例をみないほどの晴天に恵まれました。

また、コロナが本格的に空け、洞川の街に多くの人が戻ってきて、活気に漲っていました。


今回、弥山を登らせていただきましたが、

なかなかハードな修行となりました。


お山を登る目的の一つは、大きな存在と自分とが

一体になることを感じること。

それを、頭では分かっているつもりです。


ただ、今回のように肉体的に厳しい状況に

なってくると、

どうしても目先の苦しさに自分が

とらわれてしまいがちになります。

肉体的なしんどさが、一番の関心ごとに

なってしまいます。


ただ、そんなときに「自分に居つかないように

心を持っていけるかどうか?」が大切です。

言葉を変えていうなら、「しんどいときにこそ、『里の修行』の成果が問われている」のだと

思いました。


「山の修行、里の修行」という言葉は、

修験道をやっている人であれば誰でも

耳にしたことがある言葉です。

ただ、両者は別々のものではなく、

コインの裏表のような関係といえるように

思います。


「山の修行」~特に厳しい局面~においては、

「里の修行」の成果が、如実に現れます。

「日々、どのような姿勢で生きているか?」が、「日々、どのように大きな存在に向き合っているか?」

が隠そうにも隠せないのだと感じました。


日々を大切に生き切ること、

他人の役割を追うのではなく、自分の役割を果たすこと。


「山の修行」を通して、改めて「里の修行の大切さ」を感じた2日間でした。

このたびも、ありがとうございました。


(少先達)50代


令和五年7月21日現在


秩父曼荼羅小屋