私の願い 平和な未来へ 今、おもうこと。 | 井料瑠美のブログ

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普段のいろいろを、
綴っています

大切にしたいことや。
遺しておきたいこと。

良かったら、読んでいってくださいませ。

新しい出会いがありますよう。

ミュージカル俳優 歌手 女優
オフィシャルサイト
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私の祖父は、
満鉄の職員でした。
満洲の長春で、
中国の人達に日本語を教える、
日本語学校の先生もやっていた
そうです。

母が五歳のときの満洲での
家族写真。

エナメルの靴に、おしゃれな毛皮
を羽織った、目がくりくりした
おかっぱの母は、令嬢のようでした。

寒い朝。
中国の人が、
ほかほかの饅とうや、
揚げパンを売りに来てね。

こんな風にいいながらね。

祖母は短い中国語を
教えてくれました。

本当に、美味しかったんだよ。

オンドルがあり、部屋の中は
温かったよ。

当時の暮らしぶりが
伝わってきます。

敗戦して、
祖母は、祖父と別れ別れになり、
頭を丸刈りにして、男性の格好をして、
お札を洋服に縫い込んで、
葫蘆島の港を目指しました。

1歳、3歳、5歳の
女の子を背中と両手に。

ぐずる1歳の叔母を、
優しい中国の農家のお母さんが
ここに置いて行っても良いよ。

と食べ物を渡してくれたそうですが。

死ぬ時は、みんな一緒。

そう覚悟していた祖母は、
隊列から遅れをとり、
屋根裏に寝泊まり
させてもらいながら、
皆の後を追ったそうです。

おっとりした、穏やかな
祖母からは、想像もつかない
話しだったけれど。

鮮明に覚えていました。

ご縁があって、劇団四季時代
旧満洲をミュージカル「李香蘭」で
旅して、中国の劇場で公演したことや。

祖父が勤めていた
長春駅まで行き、
そのスケールの大きさに、
震えたのを覚えています。

何もかもが大きかった。
建物も、騒然と話す人の声も。
時間通りに発車する汽車は
なかったように思います。

パシフィックビーナス🚢の船旅
では、
李香蘭さんが
日本にもどり、
山口淑子さんとして
ブロウドウェイに行き「シャングリラ」
ミュージカルの主役でデビュー
して、引退されるまでの半生を
エンターテイメントにした
「リーシャンラン・レビューショー」
でリーシャンランを演じました。

船の航路は日本から中国の瀋陽でした。

宝田さんの半生を描いた
「宝田明物語」では
満洲時代の宝田少年の思いで。
満映のワンシーンがあり、
長谷川一夫役を宝田さん。
李香蘭役を私が演じました。

宝田さんの故郷、新潟県村上市
にも旅して公演しました。

蘇州夜曲やイェライシャン
は、どこの国かわからない
けれども、
甘い南風を感じ、
異国情緒溢れるメロディ。
花や鳥や水が歌詞につづられ、
なんともいえない世界に
連れて行ってくれます。

当時、息苦しさを増す
戦況の中。

甘やかな、美しい、中国語的なメロディ、ヨーロッパのクラシック、アメリカのスロールンバ。がちゃんぽんになっている曲。

上海で、はじめて、ブギウギに触れ、
ヨーロッパに触れ、ジャズに触れ
目を輝かせて、
美しい曲を創ろうとされた作曲家
の気持ちを思います。

それは、きっと、その当時の
人たちに、愛されただろうと
容易に想像できます。

私の祖父は、ソ連から日本に
帰ってきてからの人生。

何もかも、あっという間に、真逆の
価値観に、全てが変わってしまって。

自分の居場所を本当には
みつけることが
できなかったように思います。

引き揚げてきて
一からはじめた祖父は
さまざまな職場を転々とした
そうです。

質素な生活。

バス代をポケットに入れて、
自転車に乗り、これで小説を
買うよ。本を読みたい。

遠い職場まで、白い息を吐きながら、
通ったそうです。

そんな不器用な、優しい、
祖父の話しを大人になって
聞きました。

時代と共に生きるしかない。

でも、反転した時代の波に
乗れなかったひとも、
たくさんいたはず。

いま、やっと、祖父の気持ちが
わかります。

明日は、ハルピンの松花江のそばで
生まれ育った加藤登紀子さん。
が歌われます。

「百万本のバラの物語」加藤登紀子さんが書かれたご本。

国際都市ハルピンの香りが
立ち上がってきて、なぜか
胸がいっぱいになりました。

素晴らしい言葉でいっぱいです。

「音楽に国境はない」

◯平和な未来へ〜私の願い〜

小田原三の丸ホール

9月24日 3時開演

出演します🕊

今の私のまま歌います🕊✨




長文、読んでくださって
本当にありがとうございました。