失踪した大学院生を見つけるため、学校や親は出来うる限りの捜索法を用いて、私の身柄確保に全力で動いていました。

周囲の人間の対応


研究室の助手が私から電話を受け取ったあとのことです。

私から連絡がなかったので研究室側は私の両親に連絡しました。

親はとても驚いたそうです。

それと同時に私が苦悩しているのもだいたい知っていたので、もしかしたらこいつは自殺しているんじゃないかという思いが頭の中をよぎったそうです。

急きょ実家の大分から熊本に駆けつけ、大家立ち合いのもと一人暮らしのアパートの扉を開けました。

その時、首吊りをしている息子の姿を覚悟したそうです。

 

しかしそこにあったのは、多少散乱した青年誌と、一人暮らしの汚い部屋でした。

とりあえず安心したようです。

死んではない、と。

 

そして直ちに行動に移ります。

まずは資産凍結。

兵糧攻めです。

仕送り用の預金をごっそり抜き取ります。

金がない状態にして、今すぐこのみっともない逃亡生活を終わらせようとします。

 

そしてここである妙案を思いつきます。

8890→早く出ろ

私が失望した、あの8890円はここで生まれました。

預金残高を8890円にセットします。

 

母親は、私の知り合いという知り合いに、とにかく電話をかけました。

私が頼った、福岡の友達もその一人です。

 

出来る手をすべて打った母親は、私のアパートに潜伏します。

取るものも取りあえず家を出た息子は必ず戻ってくるはずだと。

 

そして夜、電気をつけていて私が勘付いて戻ってこないと悪いので、電気を消したまま潜伏してたとのことです。

 

事実、私は家に帰ろうとしました。

しかし、何か直感的に帰ってはいけないような気がして、家には足を踏み入れませんでした。

 

警察に捜索願も出しました。

しかし、当時、失踪者ってすごく多かったそうです。(今でもかもしれませんが)

そんなの一人一人かまってられないというのが警察の本心だったようです。

一応、捜索願は受理されましたが、あまりあてにはならなかったようです。

 

 

ならば自力で探し出すしかない。

 

両親、特に母親は私の捜索に全力を傾けたそうです。

郵便貯金のATMから私が預金を引き出すので、郵便局員に事情を言って、どこの郵便局からお金を引き出しているかを教えてもらいます。

それから私が潜伏していそうな温泉や、簡易宿泊施設などに聞き込みをします。

その中には私が通っていた温泉施設があったんですが、多数の人間が出入りする施設で、顔写真を見せても私が出入りしているという証言は得られなかったようです。

 

ついに発見へ


 

当時同期の大学院生らの協力も得て、熊本市内でも私の捜索は続けられてました。

彼らは主に、私の移動手段である、原付バイクを探していたようです。

 

ある日、熊本市中心部の郵便局で金を引き出したことが分かった母は、捜索協力者である彼ら大学院の同期らに連絡します。

この辺にいるはずだと。

 

みんなで手分けして捜索をしていると、ついに見つけたのです。

私が移動手段として使っていた原付バイクを。

 

徹底的に近辺の捜索が開始されます。

そして、ついに発見されました。

 

発見当時、私は通っていた温泉施設のリラックスチェアーで眠りに入ってました。

 

直前に資金が確保出来たことで、安心して少し早い夕方からの眠りについてました。

 

第一発見者は大学院の同期と、その下に付いていた4年生でした。

彼らは発見の報告を、まず大学の教授と私の両親にしました。

大学教授がまず先に現地へ到着して、私が寝入ってる姿を見て

「いる(笑)」

と笑っていたそうです。

 

両親も大分から到着します。

フルメンバーがそろいました。

いよいよ失踪者を起こします。

 

 

なんとなく、ソファーの眠りから覚めて周りを見回す私の目に、大学教授、両親が勢ぞろいして笑っている姿が飛び込んできました。

驚きました。

そして、ああ終わったと思いました。

親は、私がまた逃げないように警戒していたみたいですが、正直もう逃げるとかいう気力は私には残ってませんでした。

意地を張って、逃走していましたが、ホントはかなりもう疲れてました。

これでもう逃げなくていい。

金の心配をせず、ちゃんとしたとこへ寝泊まり出来る、そう思いました。

 

それから両親に連れられ、大分で一夜を過ごしました。

正直、布団に寝ながらホントに安心しました。

屋根がある。

壁がある。

布団がある。

ホントに家というもののありがたみを感じました。

もう公園に寝泊まりしなくていいんだ、と。

 

翌日、両親との話し合いが始まりました。