南海、西武、横浜大洋で活躍された一本足打法、片平晋作さんが亡くなられたとのことです。

現場でお見掛けするも接点はなかったのですが、片平さんには子供の頃の忘れられない思い出があります。厳密には僕ではなく、母の思い出です。

1982年秋のパ・リーグプレーオフ。当時は前後期制だったので前期優勝の西武と後期を制した日本ハムがプレーオフで顔を合わせました。西武ナインは敵地・後楽園球場での対戦に備え、池袋のサンシャインプリンスホテルに宿泊。我が家はその近隣に住み、職場がサンシャイン60の中だった母は、決戦を前にテンションが上がり、後楽園に向かう選手の事をホテル前で出待ちしました。
 

今では考えられないのですが、当時、西武の選手を出待ちするような人はごくわずか。しかもほとんどがおじさんおばさんで、休日なら子供がちらほらという状況でした(「ギャル」が増えるのは渡辺久信、工藤公康投手、清原和博選手などの登場後です)。

選手たちを一目見ようとした母でしたが、ホテル前に着いた時は既に大半の選手はバスに乗り込んだ後。決戦の地への出発直前でした。色紙を手にバスの外でたたずむ母。するとバスの窓が開いたそうです。
 

「色紙とペン貸して」

そう母に声を掛けたのが片平選手でした。腕を目いっぱい伸ばし、レオマークが塗装された大型バス車内の片平選手に色紙を渡す母。しかしその色紙はなかなか母の手元には戻って来なかったそうです。

しばらくすると片平選手は「はい」と色紙とペンを窓の外に立つ母に渡しました。母はその色紙を見てびっくり。なんと中央に「西武ライオンズ」と書かれたレオナインの寄せ書きになっていたのです。



上から時計回りに(#28から)岡村隆則、片平晋作、大石友好、高橋直樹、工藤公康、松沼雅之、小沢誠、石毛宏典、東尾修、テリー・ウィットフィールド、杉本正(敬称略)とそうそうたる面々です。中央の「西武ライオンズ」はおそらく片平選手が書いたのだと思います。


何と言う温かさと心遣い。その日以来、山崎裕之選手ファンだった母、そして我が家は片平選手も応援するようになりました。
 

この話をいつかご本人にお会いした時には話そうと思ったのですが、叶わず残念です。きっとそちらで母がお礼を言っていると思います。

片平晋作さん本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。