母校の思い出を語る寺田農さん(写真:笠原 良)


強い日差しを浴びながら歩いていると、ふと若き日の夏を思い出すことはないだろうか。例えば、小学生の時にセミ取りに行った時のこと、高校時代に歩いた通学路……。

 

ある都立高校を卒業した者たちの脳裏に浮かぶ光景は、大通りから正門まで延々と続く、急な坂道だ。ところが30年以上もの時を経て、その坂道の記憶に事実とは異なる点があることが分かった(全3回)。

[文・取材=室井昌也(韓国プロ野球の伝え手)]

⇒ 前編(2020/08/14)

 

憧れの人に聞きに行く

前編では東京都立志村高校の卒業生にとって通学に欠かせない坂道が、本来の名称の「伝兵衛坂(でんべいざか)」ではなく、「源平坂(げんぺいざか)」と伝わっていることを紹介した。1972年に同校を卒業し、テレビ朝日系の人気長寿番組「タモリ倶楽部」でもおなじみのイラストレーター・安齋肇さんも正式名称を知らなかった。これは脈々と続く「空耳」なのか。安齋さんより上の世代ではどうだったのか。証言のバトンをつないでもらうことにした。

 

「寺田さんは憧れの存在ですよ。僕らが高校生の時からテレビの青春ドラマに出ていましたから」

 

安齋さんが話す「寺田さん」とは、11年上の先輩にあたる、志村高校4期生の俳優・寺田農さん(77)だ。洋画家・寺田政明さんの長男として、「池袋モンパルナス」と呼ばれたアトリエ村で生まれ育った。その寺田さんに高校時代の思い出、坂の記憶を東京・池袋で聞いた。


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