つづきです。

 

 

定点観測写真で見る復興の歩み

 

区画整理やかさ上げ工事が進み、同じ場所が捜しづらくなる、

しかし数メートル場所が違えば視点が変わってしまう…と

《変わらない景色》を探しつつ12年間の復興の歩みを現した写真たち。

記録に残す苦労と努力と信念に頭が下がる。

 

 

 

 

 

 

閖上(ゆりあげ)地区って震災当時、ニュースで繰り返し聞いた名前。津波の被害が大きかった地域と記憶している。

日和山一帯は災害危険地区に指定され、震災メモリアル公園が整備されたとある。

 

 

当然だけれどどの地域も震災当時は濁った水で満たされていたり瓦礫だらけだったり

今見ても震えが来るほど心が痛む。当時、テレビで繰り返し映し出される津波の映像は本当に苦しくなるものだった。

私も海の近くに住む一人として大きな津波が来た時にどのような行動が取れるだろうかと考えさせられた。

全て元の通りにはならない。元の日常は戻らない。

でも一方で危険地区が明らかになったことで今後減災に繋げられるという側面もあるよね。

 

 

「普通という風景」

 

長年地域の写真を撮り続けている仙台在住の方が宮城県沿岸部を歩いて撮影した写真と日記。

地震が起こる前月から東日本大震災の前日まで。

日常のことや切り取りたい被写体について記載されている日記の中に

 

2月22日 ニュージーランドで大地震発生。大きな被害があった模様。

日本人留学生にも負傷者あり。

2月25日 NZクライシスチャーチ市生死分岐点と言われている地震発生から

72時間が近づいている。関東で春一番吹く。

 

との記録があった。

 

ニュージーランドの地震では留学生が被害に遭い、

その建物の設計上の欠陥や施工上の問題があったために倒壊したのではないかとの報道もあったのを思い出した。

当時は言いようのない怒りや悲しみを覚えたものだったが私の中ではすっかり風化していた。

こうやって記録に触れると記憶が呼び起こされる。有り難い。

 

3月9日  午前11時45分頃三陸沖を震源とする地震アリ。

栗原市、登米市、里町震度5弱、宮城野区震度4,マグニチュード7.3、

東北太平洋沿岸に津波注意報発令、大船渡で60㌢の津波観測その後続く。

3月10日 朝、6時25分頃昨日の余震と見られるやや大きな地震があった。

福島沿岸に津波注意報発令。深夜にも地震があった。

 

そういえば東日本大震災の前に大きな地震があった。

これは前震で、数日後には未曽有の地震が来る…と備えていた人はどれだけいたのだろう。

こんな気象学的なこと、知らなくても仕方がないよね。

経験したからこそ知識として頭の中に入れておくことができる。

(2016年の熊本地震でも前震があったとの記事があった)

 


 

少しは理解できたのだろうか?

 

たくさんの企画があって時間があればゆっくりじっくり多くの声に触れたかったけれども、

新幹線の時間もあって止む無く断念した部分もある。

 

2011年3月11日。

私は自宅にいて今までにないような長くて大きな揺れを経験した。大津波警報も初めて聞いた。

計画停電があり、息子の学校も時差登校となった。

買い物に出ても棚が空っぽな状態だった。

繰り返す余震はまたあれぐらいの揺れが来るのじゃないだろうか、と怖かったし

風評を振りまく人々にうんざりしたしそれがリア友だった時には気持ちが落ち込むことも多かった。

大きな支援をする人やボランティアに向かう人々のニュースに触れると何もできない、しない自分を責めることもあった。

 

でも、一番烏滸がましくも歯がゆいのは

被災された方々の本当の気持ちは想像しても想像してもわからない…ということ。

 

ここを訪れ、多くの記録や直接すぎるほどの言葉に触れ、少しは理解ができたのだろうか。

 

やっぱり烏滸がましいかな。

 

わかるわけないよね。

 

それでも訪れてよかったです。

 

多くのことを知ることができた。

教訓を得ることができた。

《わすれないために》という思いをわずかながらでも共有することができた。

 

何より

 

普通の日々。何事もない日常。大した変化もない退屈な毎日。

それが如何に特別で有難いことか。

 

それを改めて実感することができた。

 

ダウンよかったらのぞいてみてください。

参考になることもたくさん入っていると思います。

 

能登半島地震でも話題になったので記憶に新しいと思います。

 

 

東日本大震災 2011年3月11日 午後2時46分発生。

震源は三陸沖でマグニチュード9.0、最大震度宮城県栗原市で震度7。

広域に津波が発生し、その高さは岩手県相馬市で9.3m。

とてつもない速さで遡上し、多くの建物や命を飲み込んだ。

原子力発電所が被害を受け、広範囲での停電と放射性物質の放出事故が起こった。

こんな混乱の中で、人々の身勝手さと温かさを目の当たりにした。

 

地震大国である日本に住む限り、いつどこで大きな震災が起きても不思議じゃない。

南海トラフ巨大地震や首都直下型地震が起きる確率も年々高まっていることでしょう。

備えられることは備え、できることは自分でする。

毎日怖がって生活する必要はないけれど、頭の片隅にはいつも置いておく必要はある

…と僭越ながら思っています。


 

つづく…