つづきです。
4日目。
朝食は仙台名物・づんだ餅
この日の朝ごはんはずんだ餅をいただくことに。
開店前に行列ができるお店…という情報を得ていたので、早めに出発。
最終日もやっぱりGoogleマップに頼って歩く。
《〇m先右》とか表示が出るでしょう?概ねそれに従って歩くのだけれど
たまに信号の先を曲がるってなってると、信号の手前で横断歩道渡っちゃったりすると、
もうそれだけで案内変更になってどこ歩いてるのかわからなくなる…
まだ使いこなせてませんな。
そんなこんなで何とか辿り着いたのだけれど…
シャッターは降りてるし誰も並んでいない。
あれ?お休み?…と近くで待機していたらぽつぽつと並び始めたのでしれっと列に付いてみた。
単に一番乗りだったのね
仙台名物「ずんだ餅」は、豆を打って潰すっという意味の「豆打(づだ)」が訛った
「づんだ」表記が一般的だったそう。
こちら、明治10(1877)年創業のお餅やさん 村上屋餅店さんは
づんだ餅発祥のお店だとか。だから「ず」じゃなく「づ」。
暖簾はづんだをイメージした色なのでしょうか?
《餅》の一文字に誇りと自信を感じる。
和菓子屋さんだけれど店内でいただくこともできます。
もちろんづんだ餅をいただきに来たのだけれど、くるみ餅もごま餅も気になる
…てなわけで三色餅。朝食替わりなのだから3つ食べてもいいよね?って誰かに言い訳
店内のお客さま、みなさん三色餅オーダーしてた
づんだ目当てでも食べてみたくなるよね~
お餅やさんだからお餅の存在感がどっしり。つきたてなのか、柔らかくておいしい
餡は甘み控えめで3つともするするお腹に納まった。
くるみ⇒ごま⇒づんだの順でいただいた。
好きなものは一番最後に食べるタイプ。でも順位はつけ難い…どれも美味。どれも好き。
味を変える前にお漬物をいただいて口の中をリセット。
でもやっぱりごまは濃厚なお味だから最後にいただいた方がいいのかも?
きれいな色!しっかりと豆の味がして、これがづんだか~!と感動。
スプーンでお皿に残った餡までしっかり浚ってきれいにいただいた。
そうしてでも食べたくなる味。朝から大満足
だいぶお客さまが待ってらっしゃったので早々にお暇した。
ホテルに戻り、チェックアウト。
…がここでもしくじった。
荷物を持ってドアから出て…ドアが閉まった瞬間に気が付いた
最後の最後にキー閉じ込めた
フロントで事情を説明したら
「お忘れ物はないですか?」と尋ねてくださり、「恐らく大丈夫です」←いつも心配と答えたら
「それではこのままでチェックアウトさせていただきます」と対応してくださりε-(´∀`*)ホッ
今回宿泊したホテルはこちら。
駅から少し離れているけれど、目の前にバス停があるので安心。
コンビニも近くにたくさんあるから便利。コンビニを目印にすると迷うけれどもね
大通りに面しているけれど、夜は意外と静かでした。
最後の最後までお世話になりました。
あの日のことを知るために…
ガラガラとスーツケースを引きながら向かったのは
定禅寺通りにある、せんだいメディアテーク。
図書館も入っているビル。
シースルーエレベーターで7階へ。
2011年3月11日に起きた、東日本大震災の記録を、2011年5月から発信し続けてくれている
《3がち11にちをわすれないためにセンター(通称:わすれン!)》。
街のあちこちで見られた、大切な伝言。
それらを今再び目にして感じたこと、当時の想いなどを付箋に書いて掲示してあった。
どの貼り紙もどの感想も、当時を振り返る貴重な資料です。
本当は全部お見せしたいぐらいだけれどすっごい枚数になってしまうので
かなり絞り込んだつもりだけれど、それでも長いです…
「通信インフラが使えない時、アナログな手法”伝言”が役立った。」
「こういうはり紙は本当に情報が正しいのだと思いますしありがたかったです」
最終手段はやはり《人の手》なんだと思い知る。
JR・地下鉄・道路の状況を伝える貼り紙。
「震災の3日後、地下鉄の一部は運行していたのか」
インフラが途絶えたていたら休診せざるを得ない。
それでもお薬を待っている人には対応していたんだな。
「とにかくケガするな!カゼひくな!と話してたな」
風邪やインフルエンザ流行の時期。お医者さんも歯がゆいよね。
なんの施設の貼り紙なのかは不明だけれど、洗髪だけでもできれば気分がすっきりできたかな。
地震発生から1週間もせずにバスが運行。
どこかに避難した人もいただろうし、離れた家族と会えた人もいたのだろうな。
「バスはこんなに早く再開していたんでしたっけ…今考えるとすごい」
食事が困難な時に牛乳の無償配布をしてくれた、牧場。
放射能の問題もあってご苦労されたのでしょうか。
あの時は風評被害がすごかった。
私でさえしんどかったから渦中の方たちはもっとつらかっただろうな…
《充電等にご利用ください。ゆずりあってくださいますようご協力おねがいします。タイトーステーション仙台》
ゲームセンターでしょうか。自家発電があったのかな。電気の提供は助かっただろうな。
品切れ情報。
食べるものは元より、衛生消耗品がない。
ペットを飼っている場合は、避難道具にペット用品も用意しないとなんだな。
おむつなんかは嵩張るから準備しておくにも限度がある。どう備えればいいのだろう。
てもみん、5分無料!
非日常の連続は知らず知らずのうちに緊張する。こういうサービス、嬉しいよね。
マッサージしてもらいながら何気ない会話も交わされたのでしょうか。
「お店の外にマッサージ用のイスを出してもんでいるのを見ました。
(中略)みんな疲れている時だったので、ありがたかったです」
震災後のごはんの記録。
「灯油ストーブで餅を焼きました。余震がつづくなか」
当時、お湯が沸かせたり簡単な調理ができるかも…と灯油ストーブの購入考えた。
「寮のみんなで部屋からもちよったおかし」
空腹は凌がないと動けない。思考も暗い方に向かってしまう。食は前に進むためにも大切。
コンビニの店内でしょうか。被災2日後なのにきれいに片づけられている。
ガラスの商品もあっただろうし、当日は散乱が激しかっただろうな。
「久しぶりに近所のスーパーが時間短縮で営業再開したとき、あまりにも品物があって、
それがキラキラ輝いてみえて、結局たいして買えず、一旦帰宅しました。
震災前はそれがあたり前の光景だったのに」
棚がガラガラ…。多くのお客さんが買いに来るし納品なんてできないだろうしそりゃそうだよね…
「スーパーにたべものがなかった」
「水も食べものもよういしてなくて困った」
この震災のあと、水と食べ物を備えるようになった。大切な教訓。
「ストーブでお湯をわかして1つのカップヌードル夫婦で半分ずつ食べた(ただそれだけで幸せで泣いた)」
いつもは気が付かない、何気ない日常。大切な人との大切な時間。当たり前じゃないんだよな。
自衛隊の炊き出し。有事には必ず駆けつけてくれる。ありがたい。
「小学校で配られたアルファ米のわかめごはん 食べ物が有るだけでも感謝なのに、
小学校に来た近所のおじさんが「こんなのしかないのか!!!もっとましなのを作れ!!!」と
どなっていたのをおもいだします。子どもながらに、「作ってくれた人、下さる人に対する態度か」と
怒りを覚えました。」
きちんと感謝の気持ちを持てる人、理不尽な不満をぶちまける人。色んな人がいる。
こういう時に人の本性ってわかるものだ。
私は感謝できる側でありたい。
「ラップはありがとう~と思いました!水がないというのは、生まれて経験したことなかったですし、
水ってありがたいと思いました。」
避難グッズにラップ1本入れてます。食器にかけたら洗えなくてもラップだけ交換すればいいし
+新聞紙で寒さを凌ぐのにも使えるらしい。
「いつもは不愛想なご近所さんと助けあったり母が自分はほとんど食べず娘である私と妹に食糧を
手に入れてきてくれたり人は1人では生きていけないと実感しました。」
「大量にストックしてあった割り箸が重宝したのを思い出しました。」
→「そうです。物を買わなくて家にあったので助かりました。ストックは大切と思いました。」
何がどんな形で重宝するかわからないな。
「避難1日だけでしたが心細くてしんどかったです。」
住むところがあっていつもの場所で眠れるってありがたいことだ。
そしてすべてのメッセージの中で、一番心を抉った言葉。
「震災当日、母校の小学校に避難したが、あの夜他に明かりが全くない中での夜空が、
今でも人生で一番美しく、残酷に見えた。」
あの日、停電で暗闇に包まれた仙台は星空が美しかったそう。
その美しい星を残酷に感じてしまうほどの大きな人知を超えた災害。
多くの命を奪い、多くの家を飲み込み、多くの仕事を失わせた。
そして日本中の多くの人の心に傷を残した。
二度と起きて欲しくはないけれど、自然災害を防ぐことはできない。
その中でどうやって自分と大切な誰かの命を守るのか…考え続けて行かなければならない。
長くなったので⑤-2へつづく…