孫たちが

日がな一日

一つの部屋に閉じ込められ

行動を制約され

怒られて、怒鳴られて、

泣き叫ぶ声を聴くのは

 

正直心がすり減る。

切なくて仕方がない。

 

本当は息子たちに

 

もっと

子どもたちのお世話に

時間を割いてほしい

もっと

子どもたちと

向き合ってあげてほしい

もっと

子どもたちと関わってあげてほしい

 

子どもたちに無限の愛を注いであげてほしい

 

そう言いたい。

 

抵抗は必至だけれども。

 

 

 

夫は

彼らと関わると

心を壊されそうになるから

関わりたくない、の一点張り。

困りごとを相談していても

気持ちが負に傾く…

と一方的に打ち切られ

孫たちは可愛いけれど

助ける気力も体力もない、そうだ。

 

何より

子育て時期に

息子と関わって来なかったから

どの口が言う状態で

資格がないのだという。

 

成人したわが子を今さら育てる

必要もないのだと言う。

 

 

恐らく夫は

私が真っ向から彼らと向き合っても

助け船は出さないだろうし

心を壊されたとしても

自業自得だ、と

寄り添うことはないだろう。

 

 

 

余談だけれども

 

私には何かにつけ

「スルースキルを身に着けて」

「考えすぎるな」

と言ってくる夫なのに

 

例えば

もう使わない離乳食グッズやベビーグッズを

(引っ越しの)荷物にまとめてもらうのは

どうだろう?

(どうせあと1年のうちに使うことはないから)

 

と相談したら

 

「俺だったら

早く出ていけと言われてるように感じるから

止めておけ」

 

と言われた。

 

私は字義通り以上のことを

求めてるわけではないし

空いた場所に他の物を収納したいだけだ。

 

私にはスルースキル求めるくせに

相手には求めないし

私の「使いやすく住まいたい」

と言う小さな思いは無視なのだ。

 

いつもそうだ。

 

早く自立してもらいたいという気持ちも

子どもに寄り添ってもらいたいという気持ちも

互いに心地よく暮らしたいという気持ちも

置き去りだ。

 

夫は私の息子たちに対する気持ちには

一切寄り添わないつもりのようだ。

 

 

 

来年独立して離れたところに住んでくれたら

息子たちの、ネグレクトにも似た

子どもに対する態度は

見ることはなくなる。

 

それまで耳と目をふさげばいいのか?

 

孫たちが成長していったとき、

欠けたものを求めて足掻くのを

目の当たりにしなければ

私の心は平穏でいられるのか?

 

向き合おうと思うなら

カサンドラに逆戻り することを

 

そして一人で闘うことを

覚悟しなければならない。

 

私にそこまでの覚悟が持てるのだろうか。

 

正解はなんだろう。

 

いつまで同じことで悩めばいいのだろう。