僕はビートルズやストーンズなどの、いわゆるロック・ミュージックというものを二、三歳の頃から聴いている。しかし、余り聴いていない時期があった。

それは幼稚園の入園辺りから始まった。僕が入園したのは五歳のとき。これは僕に限ったことじゃないだろうが、入って僕の生活は豹変した。それまでは大抵やりたいときにやりたいことができたのだが、それが大いに制限されることとなった。まず、八時三〇分頃から一四時頃まで幼稚園に過ごさなきゃいけない。これである。これが大きい。そこでは何をいつするか時間が決まっているのである。六時間半ほど拘束される。当時の僕は二〇時から二一時くらいには寝ていたから、半日ほどだ。今考えると別に大したことじゃない。が、それまでと比べると大いなる違いだ。

また、幼稚園での時間が終わると、そこに通う他の園児と遊ぶこともあった。これが大体一七時まで。寝るまで四時間ほどしかない。食事や風呂を足したら音楽を流す時間はずいぶん減った。

その、他の園児たちによって別の意味で僕はロックから遠ざかることとなった。僕は彼らと遊ぶことによって自分が知らなかったものを知り、それを手に入れたいと思う心や、自分は持っていないという焦りから引き起こされた。そして、CDの代わりにそれを買ってもらうことが増えた。

今までもそんなことがなかったわけではない。近所に同世代の男児がいたからである。しかし、幼稚園と違って男児は一人しかいなかった。また、その男児とは会いたくなければ会わずに済んだ。幼稚園は違うのだ。土日を除いた毎日会わねばならぬのだ。

上記の理由から僕は過去に聴いていたロックから遠ざかった。



それ以外にも理由はある。というのも二〇〇八年辺りから僕は叔母の影響でルナシーにはまり、そこからエックスに飛び火した。

どちらも好きであったが、僕はルナシーよりもエックスが好きであった。なぜかというと、ルナシーは叔母のものだという感じがしたからだ。だから、この頃たまにCDを買ってもらうとなると、それはエックスのCDだった。ビートルズのCDは買おうと思わなかった。もちろん(と書くのは嫌なのだが)ストーンズも。

入園によってかなり弱っていた僕のロック欲(のようなもの)にとどめを刺したのがこのルナシーとエックスとの出会いだったと思う。

音楽を聴くのであればエックスか叔母からもらったルナシーのアルバム。たまに、本当にたまに過去に聴いていたロック(とどめを刺されてなお彼らは生きていた!)。そんな日々にもう一つバンドが現れた。プリンセス プリンセスである。

(このプリンセス プリンセスについては次のブログで書こうと思っている)
ここから数年が経過する。途中でルナシーは聴かなくなった。しかし、二つのバンドと過去に聴いていたロックは聴き続けていた。だが、どんどん音楽自体がなんというか、僕にとって趣味的なものではなくもっと軽いものになっていった。別に暮らしになくてもいいというか……そこまではいかないが、余り大したものじゃないという感じになっていた。
また、アルバムを聴くということがなくなっていた。しかも、CD自体も余り聴かなくなっていた。Youtubeで映像を見るのである。また、好きになった曲を歌うアーティストがいても、その好きな曲と他の曲を少しYoutubeで聴くだけでおしまいというケースもかなりあった。
その中で新しく好きになってCDも買ってもらったバンドがあった。筋肉少女帯である。

このバンドのCDを買ってもらったのは一〇歳の夏だった。僕がCDをたまに聴くバンドはまた三つになった。しかし、やはり過去に聴いていたようなロックをほとんど聴くことはなかったし、音楽への姿勢も軽いものであった(それが悪いわけではない)。今とはかけ離れていた。


いわゆるロック・ミュージックを再びよく聴くようになったのは、あるテレビ番組のおかげであった。『みんなロックで大人になった』である。https://sp.nicovideo.jp/watch/sm5864371

これを見たのは一一歳のときの縄跳びの時間であった。
「縄跳びの時間」に疑問をあなたは感じたと思う。それは僕が母親から命じられていた運動プログラムであった。プログラムといっても、ただ縄跳びを一〇分やるだけのものである。だが、ただ縄跳びをやるのもつまらないのでテレビを見ながらやっていた。
最初は録画した遊戯王のアニメとかを見ていた。しかし、毎日やっていれば見るものもなくなってくる。アニメは短い周期で同じものは見れない。したがって僕は何かないかと家のDVDが置かれた場所を物色した。そんなことをしたのは、自分の好みの映像が収められた、まだ見ていないDVD-Rがそこにあったような記憶があったからだ。
あった。いくつかのDVD-Rを発見した。オアシスやストーンズ、ポリスなどがあった。そのDVD-Rは、僕がロックが好きだと知っている叔母が、テレビでやっていたものを焼いてくれたものであった。しかし、そのような音楽から遠ざかっていた僕はまったくそれを見ていなかった。その中に

『みんなロックで大人になった』があった。

僕はそれを発見したとき、心の中で「フン」と嗤った。「そんなわけねーだろ」と思った。その思いは僕がロックから遠ざかっていたのと、周りにロックを聴いている人(探せばいたのかもしれないけれど)から来ていた。だから、このDVD-Rは後回しにしていた。

だが、ある日とうとうこれ以外見たことのないものがなくなってしまった。僕は「あーつまんなそーだなー」と思いながら再生した。

オープニングが流れた瞬間稲妻が走ったみたいになった。そして、「これだ!こんな素晴らしいものだったんだ!」というようなことを思った。そこからまた音楽へと僕はのめりこんでいった。昔買ってもらったCDたちを聴いた。新しいCDを買ってもらった。

そうして最初に買ってもらったのはモトリー・クルーの『シャウト・アット・ザ・デビル』であった。エックスに通じるような(あちらの方が派手だ)見た目とヘヴィーなサウンドで取っつきやすかったからだ。

(当時異様に好きだったビデオ・クリップ。曲も大好きだった。今も好きだけど大好きというほどじゃない)
その次に手に入れたのはディープ・パープルの『マシン・ヘッド』だった(これは貰ったお小遣いで買った)。

『マシン・ヘッド』を手に入れたのは小学六年生の夏休みの最後の日のことだった。当時は余り意識していなかった気がするが、僕は二学期を一学期とはそこそこ異なった状態で迎えることとなった。
そういえば、あのあんまを覚えたのもこの夏休みだった。僕には珍しい変化の夏休みだったんだなぁ(珍しいというかこの夏休み以外変化のあった夏休みというのはない気がする)。