ミュリエルのブログ -4ページ目

ミュリエルのブログ

私と息子がどうやって健康を取り戻してきたかのお話をします。ホメオパシー、心理カウンセリング、ブレインジム、食事、塾、諸々の内容になります。

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
鍼灸師さんのおかげで出なかった母乳が沢山出るようになりました。息子も順調にスクスクと育っています。

今回のお話は、
息子が産まれてから1歳までの間の予防接種の様子をお話したいと思います。

私はフルタイムで仕事をしており、結構や妊娠で仕事を辞めるという気はさらさらありませんでした。
出産後は1歳の誕生日まで育児休業を取り、職場の復帰を目指すという予定で全て進めていました。

ところで、私は不安があると、とことん情報を集めることで克服するタイプでして、初めての妊娠出産についてももちろん不安はありましたから、妊娠中は育児書や出産育児雑誌を買い漁り、ひたすら読みふけりました。

25年前の話ですから当時インターネットは一般的ではなく、主な情報源は本屋さんでした。本屋さんに売っているメインな出産育児関連の雑誌は『た○ごクラブ』『ひよ○クラブ』『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(長いので『ち・お』と呼びます)という雑誌があり、私はこの辺りの雑誌を買い読んでいました。

前者の『〜クラブ』は、カラーが多く、凝った付録が付き、なのにとても値段が安い雑誌で、一方で『ち・お』は薄く、小さく、カラーページはほんの少しの地味な雑誌なのに値段は『〜クラブ』よりも高い価格になっていました。

ここのブログにたどり着いた方ならすぐにお気づきかと思いますが、当時の私はなぜ『立派で価格が安い雑誌』と『地味なのに価格が高い雑誌』があるのか理由がわかっていませんでした。雑誌に載っている広告の量が違うなぁとくらいしか感じていませんでした。
今ならわかります。
違いはスポンサーですね。
あの豪華な雑誌は、商品や医院の宣伝費の塊だったわけで、その情報が必ずしも赤ちゃんお母さんのためになっているかどうかはまた別問題で、『ち・お』の方はスポンサーの機嫌を損ねるなどということは関係ないラインナップだったと思います。

『ち・お』を読んでいて特に気になっていたのが、医学博士で元・国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長の母里啓子さんの記事でした。
内容は毎回『予防接種は打ってはダメ』という内容で、このことが繰り返し書かれていました。

『〜クラブ』の方は、予防接種のスケジュールなどを付録にし、いかに予防接種を受けることが当たり前で大事だということを大々的に訴える内容でした。

私は母里さんの言うことが真実だと思いましたが、健診で病院に行く度、医師からは予防接種をきちんと受けているか聞かれますし、市役所からは通知も来ますし、保育園探しを始めると、入園までに必要な予防接種は全て受けられるように、と園から念を押されてしまい、受けさせたくないなどとはとても言える雰囲気ではありませんでした。

私は悩みましたが、一旦母里さんのことは忘れ、予防接種を受けさせる、と決心してしまいました。

そして、生後10ヶ月。何の予防接種かは忘れましたが、本来4週間間を開けなければいけないスケジュールを、職場復帰まで間に合わないと、3週間の間隔しか開けずに次の予防接種を受けさせてしまいました。

その予防接種後、息子は今まで全くなかった夜泣きをするようになり、夜はぐずってお乳をずっと吸わせ続けないとお互い眠れない状態になってしまいました。
また、ずっと快便だった便が緩くなり、毎日が下痢に近い状態になりました。
それが1ヶ月続いたので、さすがに小児科に相談にいきましたが、特に心配はないと帰されてしまいました。

またその後すぐに初めての風邪をひき、病院で薬をもらって飲ませることになりました。風邪はすぐに治りましたが、便は相変わらず緩いままで、夜のぐずりも続きました。
寝不足で参ってしまった私は、職場復帰も目前だったので母乳をやめることにしました。
母乳をやめると、夜はあまりぐずらずに長く眠ってくれるようにはなりましたが、漠然とした不安は消えることはありませんでした。

いよいよ職場復帰となり、復帰1週間前から慣らし保育を始めました。
しかし、保育園に通い始めてすぐにまた風邪をひき、職場復帰の日である息子の1歳の誕生日には、母に家に来てもらい、熱のある息子を母に預けての復帰一日目の仕事となりました。

その日の午後、慌てた様子で母から職場に電話がありました。
息子が痙攣を起こして救急車で運ばれたというのです。
私は職場を後にして、大急ぎで病院に向かいました。
病院での診察は「熱性痙攣」で、心配はないとの事でしたが、翌日も熱が高く心配した夫が、休日診療に病院へ連れて行くと言い出し、病院へ連れて行ってしまいました。そこで「念の為」入院しましょうということになりました。
この時、病院にちゃんとした小児科医がおらず、別の診療科の先生がみてくださったのですが、何かあると嫌なので「とりあえず」入院させたという経緯のようでした。

保育園入園、私の職場復帰と急激に環境が変わった挙句、親から引き離されての病院へ入院、息子はパニックになりました。
私も不安ではありましたが、入院中では仕事に行くしかほかありませんでした。
しかし出勤してすぐ、今度は病院から電話がありました。
入院中激しい痙攣を起こし、一時は呼吸も止まってしまったとのこと、私は生きた心地がしないまま慌てて職場から病院へと向かいました。

息子はそのまま肺炎を起こし、予定していた入院期間を遥かに超えた入院を余儀なくされました。
入院する前は肺炎など起こしていませんでした。熱の高いただの風邪のはずでした。

私は、息子を置いて仕事に行ったので息子の病気が悪化したのだと自分を責めました。(姑や夫からも私が仕事をしているからこんなことになった、仕事を続けたいというのは私のエゴだ、と責められたのもありますね)

この2週間以上の入院で、息子の発達は完全に後退してしまいました。入院前はハイハイまで出来ていたものが、首も座らず1人で座ることも出来ないくらいになってしまいました。

この状態では、しばらく保育園復帰は難しいと医師から説明を受け、、私はすぐに介護休暇を取らざるを得ない状況となりました。


では今日はここまで。
続きは後日。

ここまで読んでくださりありがとうございました🙏
良き一日を✨️



どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
治りにくいと言われる真珠性中耳炎をホメオパシーを使って3ヶ月で完治した息子。

これからしばらくは、息子の幼少期の話をしたいと思います。
(本日の回は、母乳の話なので私の話がほとんどですが)

息子の話だけでホメオパシー、鍼灸、ブレインジム(キネシオロジー)、心理療法、様々な代替医療が出てきます。
本日は鍼灸の話をです。
(ホメオパシーの話はまた後ほど出てきます)


妊娠中は特に大きな問題もなく、冬の晴れた日に息子は3300gで産まれました。
妊娠中体重が8キロ増えてしまったので、助産師さんからは難産になるだろうと嫌味を言われていましたが、割とすんなりと産まれてきてくれたと思います。(お医者さんが到着する前に出てしまったので会陰切開を免れたほど。お医者さんゆっくり来てくれてありがとう)

出産予定日より3日遅れて生まれたのですが、赤ちゃんが大きいこと(3300gは大きいか?🤫)年末年始にかかるのを避けて、○日まで生まれる気配が無ければ陣痛促進剤を使いましょうと言われていました。
その期日の1日前に産まれてきたので、まるで話を聞いた息子が大あわてで産まれてきたような印象がありました。
偶然でしょうけれど(笑)


私が選んだ産院は公立病院で、そこでは母乳育児に力を入れていました。
妊娠したと知ったその日から、乳のマッサージ指導が入り、私も母乳育児には賛成なのでせっせとマッサージをがんばりました。

しかし、産まれても母乳はほんの少ししか出ず、保健師さん2人がかりのマッサージをもっても母乳はほとんど出ませんでした。
入院中は、完全にミルクで終わりました。

出産後、私は背中の痛みに悩み、退院後2週間程落ち着いてから、近所の鍼灸院に行きました。
そこの鍼灸師さんは全盲のおじいちゃんで、とても穏やかな人でした。
施術中、母が抱いている息子の存在を感知し、背中の痛みはともかく「母乳は出ているかい?」と聞いてきました。
私は母乳がほとんど出ていないことを伝えると、鍼灸師の仕事は母乳の出を良くすることも仕事のうちなのだと教えてくれ、早速診てもらうことにしました。
出産後の割に私のお乳はふにゃふにゃで、鍼灸師さんの診断だと、乳腺があまり発達していないこと、乳首に詰まりがあるということを教えてくれました。
この状態では完全母乳は望めないかもしれないけれど、詰まりを取ればいくらかは母乳が出るだろうとのこと。
私は何をされるのだろうとビクビクしながらも(笑)お願いすることにしました。

ところで皆さんは、母乳の詰まりってどうやって取ると思いますか?

まず想像してください。
水道の蛇口にゴム製のホースを繋ぎ、ゴムホースの先に泥のようなものが乾いてこびりついて蓋をしてしまい、蛇口を捻っても水が出てこないとします。
その泥のような詰まりをどうやって取り水が出るようにしますか?なお、ゴムホームは柔らかい素材だとします。
ほじくるのもありだとは思いますが、詰まったゴムホースの先を潰すように揉み混んで泥を剥がしてから蛇口を捻るのはいかがでしょう。
きっと剥がれて潰れた泥ごと水が出てくるでしょう。

母乳の詰まりもこの要領でやるのです。

乳首の先には、シャワーヘッドのようにいくつか穴が空いていて、母乳はそこから出てきます。
そして柔らかいシャワーヘッドですから、その詰まった穴回りを優しくさすって詰まったものを剥がすのです。
じゅうぶん剥がしてから母乳を絞るように軽く押せば、母乳と共に詰まりは出てきます。
出てきた詰まりを見せてもらったのですが、灰色の糸くずの塊のようなものでした。
軽く触れるか触れないか程度の力でさすりますから、ほとんど痛みも感覚すらありません。
力任せに助産師2人がかりのマッサージはとても痛く、しかも母乳が出なかったことを考えるとあれは全くなんだったのかと思います。
あれは、詰まりを取らずにぎゅうぎゅうと押し出そうとしていたわけですから痛いのは当たり前ですよね┐(´д`)┌
病院も、助産師さんも一生懸命だったのはわかるので感謝の気持ちはありますが、
本当に西洋医学とは雑で暴力的な治療だとつくづく思います………。

一回の施術、その日のうちに取れなかった詰まりも、緩ませさえすれば、あとは赤ちゃんが吸うことで取れてしまいます。

あっという間にお乳がカチカチになるほど母乳が出るようになり、その後ミルクの出番が出ることはなくなりました。
この結果を聞いて、鍼灸師さんはとても喜んでくれました。

施術中、この全盲の鍼灸師さんからは面白い話を沢山聞きました。
鍼灸師さんは月に2回、近くにある元ライ病患者が住まう地域に往診に行っていたそうです。
もちろん奥さんの介助を伴って。
「全盲の私がなぜわざわざ介助を伴ってそこへ行くかわかりますか?そこに住まう元ライ患者さんは外へ出ることが出来ないのですよ」

ライ病患者の隔離政策は知識としては知っていましたが昔の話だと思っていました。
隔離された生活をしていた方が、もう自由になっていいよと言われてもそうそう地域には戻れないのは当然ですよね。

数年後、鍼灸師さんは、ガンでこの世を去りました。このような素晴らしい技術を持った鍼灸師さんは今もどこかに居るのでしょうか。

ちなみにですが、今にして思えば、母乳の詰まりの原因は食事だと思います。

当時の私は、「子どもを産むだけでストレスフルなのだから、好きな物食べてストレス解消するぞ!」なんて、割と好きな物を好きなだけ食べていました。

母乳の詰まりは、赤ちゃんにとっても不幸ですし、私の場合は母乳自体が少なかったので乳腺炎にはなりませんでしたが、乳腺炎にでもなればとても痛い思いをします。(らしい)
一生ケーキやラーメン、お菓子を食べるなって話では無いのですし、美味しいお乳を赤ちゃんにあげられるのなら、授乳期間は食事を気をつけるのはありだと、今ではそう思います。
他人に押し付ける気はありませんが(︎^_^;

ではでは
次回も引き続き息子の話を続けたいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
良き一日を〜(*>∀<)ノ))

#乳腺炎
#鍼灸

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。

前回のあらすじ。
8年間薬が手放せなかった喘息が、ホメオパシーでほぼ4ヶ月で治ってしまった私。
未知だったホメオパシーを自分の身体で試し、安全で有効なものであると確信しました。
次は息子のホメオパシー体験です。

ところで、私のブログで紹介するのはホメオパシーの話だけではありません。
当時は、同時進行で色々なアプローチを試していました。なので私の喘息はレメディを取ったことだけで治ったわけではなかったかもしれません。
(でも、その後も様々なシーンでホメオパシーを使っているので有効であることは間違いないと思っています)

師匠のところで学んでいたカウンセリングもそのうちのひとつです。
そしてその師匠もカウンセリング1本だけでクライアントの悩みや問題を解決している訳ではなく、時には頼れるヒーラーにヘルプをすることも多かったようです。
そういったことも聞いていたので、私は図々しくも師匠のそのツテも頼らせてもらったのです。

当時小学生だった息子での困り事のひとつに、心霊現象がありました。
お化けや幽霊が見えること、時に身体や心を乗っ取られることに息子はいつも怯えていました。
霊に乗り移られるのはほんの短時間なのですが、霊がいる時の息子の目は薄い茶色に変わっていました。
このことを師匠に相談すると、師匠はアメリカの遠隔ヒーラーを紹介してくれました。
息子の写真、誕生日や生まれた場所書いたもの、髪の毛を郵便で送り、まずは透視の結果を待ちました。
透視によるとその時の息子の状態は
①オーラに穴 ②第6チャクラの異常興奮 ③電磁波の害 ④予防接種の害 ⑤パラサイト(憑依)
という返事が返ってきました。
もちろん全てのクリアリングをお願いしました。クリアリングを終え、塩の入ったお風呂で浄化したところ、少なくとも息子は霊に取り憑かれるようなことは無くなったようです。霊が見えるのは変わらずでしたが。

そのヒーリングが終わって、私の喘息もすっかり治った頃、学校の健診で息子の耳の異常が見つかりました。
なんだか深刻そうだったので、学校の指示の通り耳鼻科に連れて行くと、医師からは「真珠性中耳炎」と診断されました。

真珠性中耳炎というのは、場合によっては難聴になるなどの深刻な中耳炎だそうで、下手をしたら年単位で抗生物質を飲まなければいけないと医師から説明を受けました。

私は大急ぎで、お世話になったホメオパスに連絡をとったのですが何故か連絡がつかなくなり、急いでいたので、東京にあるホメオパシーの本部の健康相談を申し込むことにしました。

予約をとる時、子どもの場合、両親とも意見が一致していないと、ホメオパシーの会社側がトラブルに巻き込まれる可能性があるため、夫がホメオパシーの治療を受けることを承諾しないと受けられませんと言われました。
夫がそのようなことを承諾するとは到底思えなかったので、全ての責任は母親である私が取ります!と無理やり相談の予約を取りました。
(今は多分このようなことは言われないと思います。ただ、相談する人自身がホメオパシーに理解がないと受け入れてはもらえないかもしれません)

東京の本部ではセッション時に『QX‐SCIO(キューエックス スキオ)』というエネルギー測定修正システムも使って相談を受けることが出来たのがとても面白かったです。QXはあまりご存知ない方も多いと思いますが、あれです『メタトロン』と同じ部類のものです。(説明になってない(笑))

担当してくれたホメオパスの方は若い女性でとてもチャーミングな方で、
看護師、保健師、鍼灸師、マッサージ師の資格も併せ持つスーパーな方でした。

アメリカの遠隔ヒーリングの結果も全て伝え、予防接種の害をデトックスするコンビネーションのチンキをベースに、レメディを処方してくれました。

ちなみに、耳鼻科にはきちんと通っていました。ただ、処方された薬は家に帰ってすぐゴミ箱に放り込んでいました。
最初の2週間程は処方された抗生物質を飲んでもらったのですが、自分の経験もあり(ホメオパシーの治療がまずは薬の害を出すことからはじまったこと)ホメオパシー1本でいくと、密かに心に決めての行動でした。

そして3ヶ月後の診察の時、医師から「とても綺麗に治っている」と完治宣言を受けたのです。

治癒には最低でも半年、下手したら年単位と説明を受けていたので本当にビックリしました。
まあ医師が息子の耳を目で見て治ってるというのだから信用する他ないですよね。
お医者さんは自分が処方した抗生物質のおかげと思っていたようでしたが……

私はフルタイムで仕事をしていて、自由にきくお金もあったので、これだけのことが出来たのだと思います。

息子の治療費ひとつ夫の了承なく払うことが出来なかったとしたら息子の耳はどうなっていたのか今思うとゾッとします。

実は息子の問題はこれだけではなくて、他にもありました。

次の回は息子の話をしたいと思います。

今日も良き日をお過ごしください(✿´༥`✿)


#ホメオパシー

#真珠性中耳炎

#遠隔ヒーリング