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ミュリエルのブログ

私と息子がどうやって健康を取り戻してきたかのお話をします。ホメオパシー、心理カウンセリング、ブレインジム、食事、塾、諸々の内容になります。

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
就学してから勉強面で困難を抱えていた息子。
ある塾との出会いで勉強に対する考え方を変える。

塾長は、息子がとったノートの、そこに書かれた大きさも位置もバラバラの文字を見て、これが息子に見えている世界だと、私達が通常見ている世界と息子が見えている世界は違うのだと瞬時に気が付き私に教えてくれました。

それはディスレクシアという発達障害のひとつなのですが、塾長は「障害(ディスオーダー)」という言葉を一切使わずに、息子に合った勉強法を実践してくれました。
罫線に沿って、安定した大きさの文字を書くのが困難だった息子に、比較的大きなマス(四角形)の中にひらがなカタカナを書いて練習させ、そのマス目を順々と小さくしていく方法でノートに文字が書けるようになりました。

あやしかったひらがなカタカナをマスターしたことで、スタート地点に立て、意欲も湧いてきました。
こういったその子の見え方、捉え方に合ったアプローチで勉強を教えてくれる塾に出会えたのです。

今回は、以前も少し触れましたが、発達障害よホメオパシー的アプローチとはどういうものなのかをお話していきたいと思います。

ではれっつごー。

ホメオパシー・ジャパンの由井寅子さんの本に
「発達障害のホメオパシー的アプローチ」という本があります。これを読めばここで説明することも無いのですが、少し要約してお話していきますね。

まずは発達障害の原因ってなんでしょう?
私が調べた限りで羅列していくと、
小麦粉、牛乳、砂糖、食品添加物、テレビや音の出るおもちゃ、電磁波、そして薬、特に予防接種です。

ここでは予防接種のホメオパシー的アプローチをお話します。
写真は私が当時読んだ本の現在の出版版です。
この中には、発達障害の相談をしたクライアントの母親の、妊娠中にどんな食事をしたか?とった薬はあるか?どんなストレスがあったか、出産の様子はどんなだったか、受けた予防接種はあるか等々……
これらの情報をもとにホメオパシーのレメディやチンキを処方して改善していく様子が紹介されています。

メインになるのはやはり予防接種で、5種類の予防接種とデトックスを手助けするスーヤというハーブを組み合わせたコンビネーションチャンクシャーをとってもらいます。息子もこれをとりました。

ホメオパシーは「同種療法」とか「究極のデトックス」と呼ばれ、足し算ではなく、引き算で治癒を導きます。
予防接種から作ったレメディを摂ることで、体内の予防接種を外に出すのです。

ところで、脳が破壊されてるから障害が起きるわけですが、
予防接種がどうやって子どもの脳を破壊するかをお話します。

予防接種とは弱毒化した病原菌をアジュバントという物質と共に血管に入れていきます。(ちなみにコロナのは違います。あれには病原体は入っていません)
人間の体が病原菌と出会い、免疫を駆使してどうやって排除していくかは、実は単純ではありません。
A作戦がダメならB作戦、、、のように何重にも保険をかけた方法で病原菌に対処していくのです。
いきなり注射針で血管の中に入れ抗体を作る方法はかなり後者の作戦です。そこまでいくのは自然の状態ではあまり有り得るケースではありません。

そして、たいていの病原菌は雑魚なので、最終手段の抗体を作ることなく退治してしまいます。
なので普通に病原菌を体内に入れただけでは抗体は出来ないので、一緒に強力な毒を入れることで体内を非常事態にさせ、本来なら抗体を作らないような病原菌に対し、臨時の処置として抗体を作るんです。
だから予防接種はたいてい「劇薬」なんですね。

さらに、しっかりとした免疫機能が出来ていない3歳未満の赤ちゃんは、本来なら毒を通さない脳への入口などがガバガバになっています。

なので、大人よりも、毒物が脳にいってしまいやすいのです。

アジュバントには水銀やアルミニウムなどがあり、これらは過去の公害でも知られている通り神経毒です。
こんな毒が脳にいってしまったら、そりゃ問題が起きないはずはないですね。

それでも強い赤ちゃんなら、脳に達する前に外へ出してしまうかもしれませんが、親が既に予防接種で弱ってますし、ろくなものを食べていません。さらにストレスも加われば赤ちゃんの身体は生まれた時点で弱っており、毒まみれです。

そして、詳しくは私には理解が出来ないのですが、まずは腸が侵され、その流れで脳にいくらしいです。
発達障害にクローン病など腸の問題を抱えている子どもが多いことは、私が周囲を見渡しただけでもよく見るケースです。

息子の最初の症状も下痢、軟便から始まりました。

入れた予防接種の毒をデトックスする、そこからが始まりです。
それでも、必要な時期に必要な発達の機会を失った子どもは全くの正常には戻りません。
他の機能を駆使して、日常には困らないほどには発達すると言うことです。

知っている方もあるかもしれませんが、
うつみん(内海聡)さんが
「障害児の親は反省しろ」という発言で炎上したことがありました。
その発言を聞いた時点では、私はほぼ問題が解決した後だったので、実に的を得ている発言だと納得したものです。

受けさせてしまった予防接種が数々の問題を引き起こし、命の危険もあったと気がついた時は、私も本当に落ち込みました。
息子の将来をめちゃくちゃにしてしまった自分を許せなくて〇にたくなりました。

でも、〇んでる場合じゃない!とはっと我に返り、取り返せるよう奔走したのです。

ちなみに息子のために動いたことで、ついでに私の長年の悩みだった喘息も治ってしまったので、うつみんの言葉は実に愛に満ちていると私は思うのです。

渦中だったなら、違う反応だったかもしれませんが………。

では今日はここまでにします。

読んでいただきありがとうございます。

次は、発達障害のアプローチ
原始反射統合(ブレインジム)についてお話したいと思います。

皆さん良き一日を〜♪

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
風邪から熱性痙攣、肺炎、脳症に至り回復した息子。
小学校に上がるまでにはすっかり元気になりました。
しかし、困難はまだ続きます……

今日は息子が小学校に上がってからの学習面の話を中心にしたいと思います。

1歳時の入院で運動面の発達が遅れ、1人で立ち上がって歩けるようになったのは2歳の誕生日の1ヶ月前でした。
そして4歳の脳症の後は、医師の判断では後遺症無しとのことでしたが、舌足らずのような話し方、産まれてこの方ヨダレかけをしたことがなかったのに、当然Tシャツの全面が絞れるほどの大量のヨダレなど不審な点は沢山ありました。しかし医者さんが正常と言うからには黙るしかありませんでした。
(この2つは今にして思えば恐らくてんかんの薬のせいですね)

ともあれ、就学前検診を無事に通過し小学校入学となりました。学童保育にもお世話になることになりました。

小学校に入って1週間もしないうち、担任の先生から電話がかかってきました。
要件は、学校を遅刻してくること、着替えや支度が遅く、同級生を待たせてしまうシーンが多く困っているとの事。

私の地域は集団登校ではなかったので、入学前に数回学校への道なりを一緒に歩いて登校の練習し、大丈夫そうだったので息子1人で登校することにしました。
夫の出勤時間と同時に家を出るため(私の方が通勤時間が長く早く出る)、学校にはどんなに遅くとも始業の20分前には着くはずなのですが、毎日1時間目の授業の途中に登校してくるとのこと。
しかも、玄関とは反対側の窓から授業の様子を覗いている所を先生が見つけ、教室に招き入れるというシーンもあったそうです。
(それを聞いて想像した私は「ぷっwなにそれかわいい…」と思いましたが烈火のごとく怒っている先生の前では笑いを堪えてペコペコ頭を下げたものです)

とにかくマイペースで、周りに合わせようとしない!クラスは40人児童がいるんだからそういうのは困ります!と何度も何度も電話がかかり、学校にも呼び出されました。

正直、誰かをいじめたり、物を壊したりしているわけじゃなし、もし息子のマイペースが困るのであれば、根気よく社会性を教えるのが学校なんじゃないの?と私は思っていました。
でも、息子に酷く当たられても困るので、必死に反省したフリをして平謝りしたり、おだてたりして先生を立てていました。(この親あって子あり?先生すみませんw)

2年生、3年生と学年が上がっていくと、周囲に迷惑をかけるほどのマイペースぶりは多少改善したものの、今度は学習面で問題が出てきました。
宿題をまったくやらないのです。
本人曰く授業の勉強もよくわからないとのこと。

息子は言葉が出るのが早く、小さい頃から大人とおしゃべりするのが大好きな子でした。
お気に入りは美容院に行って、美容師さんと楽しくおしゃべりをしながら髪の毛を切ってもらうこと。
コミュ障で美容師さんとはほとんど喋らない私とは対称的で、美容院に行く度いつも感心するやら呆れるやらでした。

授業では、ノートに文字を書けば線や欄からはみ出し、罫線に沿って同じ大きさに書けないため、
2桁の計算が出てきた算数も壊滅的でした。
縦に数字を並べて単位を揃えることが出来ないので足し算も引き算も割り算も正確な回答が出ません。
こんな調子ですから、何回も文字を書く練習や計算の宿題などまず無理でした。
文章を読むのも苦手らしく、社会も理科もNG。

後から知りましたが、まず板書が出来なかったそうです。黒板を見て書こうとノートに目を移した途端、もう何をどこに書いたら良いのか分からなかったという話を息子から後になって聞きました。

理解は早く頭は良さそうなのに、と、違和感は続き、学校の先生や夫はもちろん周囲からは「怠け者」とレッテルを貼られるようになりました。

私が学んでいたカウンセラーさんにこのような悩みを話したところ、息子もカウンセリングをしたらどうかと提案してくれました。(その頃息子は小学校4年生くらいだったと思います)

何回かカウンセリングをした後のことですが、カウンセラーさんは、どうやら彼はディスレクシアなのでは?という指摘をしてくれました。
ディスレクシアとは初めて聞く言葉だったので色々調べたところ、主に見え方の問題で文字の読み書きに問題がある発達障害のひとつのようです。
ディスレクシアで有名な方の1人はトム・クルーズでしょうか。
彼は台本が読めないので、他の人に読んでもらった音声を使ってセリフを覚えたそうです。

ところで、カウンセラーさんに息子の話を聞いてもらうのと同時期ですが、息子にと、夫が最近オープンしたばかりの塾を見つけてきました。

実は勉強についていけるように宿題ができるようになるようにと、夫が息子に塾を勧め、塾通いをしていたのですが、既に2箇所ほど塾をクビになっていたのです。
やはり「宿題をやらない」という理由で(笑)
正直、最初から塾は意味が無いと思っていましたし、もう塾はいいよと断るつもりでした。しかし、塾のホームページや塾長のプロフィール、コンセプトを見て少し興味が湧いてきたのです。それでもあまり期待はせずに息子を連れてその塾の面談に行ってみました。

塾長は脳科学を専攻していて、そこも気になりましたが、一番気になったのは「学校も塾もクソ。とにかく、どの業界よりも教育業界が一番にクソ。でも自分はあえてその世界で頑張ってみたい」と、自分のプロフィールに書いてあったところでした。

面談して、息子のノートを見て塾長が一言
「お母さん、これが彼の見えている世界ですよ」

大小様々、しかもミミズのようなのたくった文字、これが息子の見えてる世界ならば、確かに文字は読めないし、黒板に書かれたものをノートに書くのは難しいでしょう。
「でも大丈夫。任せてください。これが私の専門分野なので」

面談後、息子もこの塾を気に入り通うことになりました。
驚いたのですが、一番最初に取り組んだのは「ひらがな・カタカナ」の練習でした。
(この時確か小学校5年生だったと記憶しています)
最初は大きなマスの中に書き、次第に小さなマスにしていきます。
「言ってなかったけど実はカタカナの読み書きあやしかったんだよね、これで自信がついたよ!」と息子は大喜びでした。
また、塾長が次々とスカウトして日本中から集めた優秀な大学生が教師をしていて、その魅力的な教師陣が何より気に入ったようです。
その中には、将来(今ですね)割と売れっ子のライトノベル作家さんになった先生もいました。

この塾は、一般的な中学高校大学受験のほか、大学生や院生、民間の人向けに英語の論文指導なども行っていました。
普通の教科の他に、ブレスト(ブレーンストーミング)や、ディスカッションの仕方、小論文の書き方などもトレーニングしてくれる塾で、息子はここで考えのまとめ方、文章の組み立て方などを学び、今でも作文は得意です。

私は塾長さんに息子はディスレクシアなのではと1回だけ言いましたが「そういったカテゴリー化はしたくありません」と言い、その後も絶対に『障害』という言葉は使いませんでした。
しかし、息子にしてくれていたのは全てディスレクシア対応だったと私は思います。

長くなってしまったので今日はここまでにします。
夏みたいな天気になってきましたね☀️
皆様も良い一日を✨

どうもみなさんこんにちは

ここは、私と息子が数々の代替療法で不調を解決(したのか?)した過程をお話するブログです。


前回のあらすじ。
元気に産まれた息子。
妊娠中に読んだ育児雑誌『ち・お』に掲載された予防接種への警告を発する母里啓子さんの記事が気になりつつも、予防接種を受けさせることを選んだ私。
何回目の予防接種後、微妙な体調不良が続き……?


既に部分的にお話を済ませてしまっているので、ここで時系列で整理をしてみます。

息子誕生から1歳まで→予定通りの予防接種を受ける

→1歳から就学前までずっと体調不良

→小学校に無事入学、体調は落ち着きつつも学校でのトラブルと心霊現象多発

→私(母親)がカウンセリングを学び始めたことをきっかけに遠隔ヒーリングやホメオパシーを知る

→遠隔ヒーリングを受け、息子の現状を知る

→真珠性中耳炎
ホメオパシーで完治

→続きます


本日は就学するまで続いた息子の体調不良についてお話します。

前回お話した1歳の誕生日に起きた熱性痙攣で入院後、肺炎を発症。ガンマグロブリン(血液製剤)を使うほどの病状悪化プラス、ハイハイまで進んでいた発達は、首座り前まで後退してしまいました。

退院後は3ヶ月弱ほど自宅での療養し、無事に保育園に入園出来ました。
この療養期間で(この時1歳)首座り→自力で寝返り→1人でお座りまでできるようになりました。

保育園入園時、月齢は1歳4ヶ月でしたので
他の同じ年齢のクラスの子どもたちは、走り回っている子もいました。1歳4ヶ月なのにお座りしか出来ないことに多少不安もありましたが、保育園に通うことで同世代の子どもたちから刺激を受けて、発達が伸びることも期待をしていました。

息子は体力も落ちていてたので、こまめに母や妹に手伝いに来てもらって無理をさせないようにしながら、保育園生活はスタートしました。

発達については思った通り、同世代の子どもたちとプロの保育士さんのもと、ほんの数ヶ月でどんどん追いつきました。
すぐにハイハイを思い出し、大好きな保育士の先生に甘えながら、保育園生活は順調でした。

ただ当然ですが、しょっちゅう風邪をもらい、熱を出して休むことも多かったです。
当時は2週間に1回位のペースで風邪をひき、熱を出していた時期もあったくらいです。

私の考えは当時も、風邪くらいで病院に行ったり薬を飲んだりするのはどうなのというものでしたが、
1歳の時の痙攣発作や入院で、夫はすっかりノイローゼに近い状態になってしまっていて、熱が出たら即病院へと連れていき、せっせと薬を飲ませないと気がすまなくなっていました。

仕事を復帰したばかりの私は、母や夫、色々な人の手を借りないといけない状態でしたから、薬は良くない、病院には連れて行かないでなどととても言える状態ではありませんでした。
実際何度か言ったこともあったのですが、
「それならお前が仕事を辞めて全責任を持って息子の看護をしろ」と言われてしまい、黙る他ありませんでした。

そして、忘れもしない4歳、いつものように熱を出した息子を母に託して出勤すると、仕事中慌てた様子で母から電話がありました。
1歳の時と同じく痙攣を起こして病院に運ばれたという内容でした。

すぐに病院に駆けつけると、息子はもう意識は戻っている状態でした。
私は一安心して、待合室で息子の処置が終わるのを待ちましたが、何やらバタバタとお医者さんや看護師さんが入れ替わり立ち代り出入りするばかりで、1時間経っても医師から呼ばれず息子は診察室に入ったままです。

そして、やっと呼ばれたかとおもうと、息子には会えず、お医者さんは深刻な表情で現状の説明をし始めました。

「あれからまたすぐに痙攣が始まり、ずっと痙攣が収まらず、現在自力呼吸が出来ていない状態です。ここには小児用の人工呼吸器が無いため、すぐに病院を移らないといけません」

ちなみにですが、息子が自宅で痙攣発作を起こして救急車を呼び、救急隊が受け入れ病院を探してくれたのですが、どこの病院にも断られ(これ平日の午前11時頃です)、前日に風邪で受診した小児科の病院が総合病院であったことで、そこも一度断られてはいたのですが、救急隊がもう一度連絡し「昨日そちらで受診した患者さんなんです。昨日受信して今日急変してるんですよ?責任感じませんか?」と半ば脅す形で受け入れてもらったのです。今もそうらしいですが、20数年前でも子どもを受け入れてくれる病院が少なかったので、夫は、息子の風邪の受診の際、総合病院と近所の小児科と交互に受診していたのです。その時の風邪は総合病院で受診していました。
これが幸いだったのか、仇になったのかは今もなんともいえません。
この時の風邪で受診していたのが近所の小児科だったら?少しゾッとしました。

話を戻します。
そういう訳で、息子は病院から病院へと今度は病院の救急車で運ばれました。
病院に到着し大急ぎでCTを撮ったところ、脳が浮腫んでおり、頭蓋骨を圧迫している状態でした。
脳が炎症を起こして浮腫むと、頭蓋骨の中で圧迫されて、脳細胞が破壊されてしまうらしいです。
何時間も待たされて、やっとお医者さんに呼ばれ、第一声で言われたことは今も忘れません。

「いったい!こんなになるまでどうして放置したんですか!」(お医者さんめちゃくちゃ怒ってます)


いや、放置してませんけど。
熱が出て即病院連れて行って薬飲ませて、それが昨日の話です。昼間熱性痙攣起こして救急車運ばれて、すぐに意識は戻ったのに、お医者さんがなにかしている間にこんなことになったので、私達は何も知りませんし、とにかく放置していたわけじゃありません。

そのようなことを説明し、お医者さんの怒りはすぐに治まりましたが、今は危険な状態で、命が助かっても障害が残ることが有り得る状態と説明を受けて息子を病院に残し、私達は自宅に帰りました。

もう何が何だか分かりませんでした。

入院中の話は割愛して、

結論としては、ここでも息子は奇跡的に回復し、少なくとも言語や身体能力に障害が残ることもありませんでした。

しかしこの後、病院の判断でてんかんの薬を飲むことになってしまいました。
てんかんなのですか?と何度も聞きましたが「てんかんでは無い」とのこと。
ただ、また発作が起きたら心配だから、の一点張りでした。

保険会社に渡すのに診断書ももらいましたが、「痙攣・肺炎・原因不明」としか書いておりませんでした。

今から思えば、インフルエンザ脳症(この病名も不本意)だったんでしょうね。インフルエンザじゃなかったですけどね。普通に風邪です。
(正確にはライ症候群だったのでしょうか)


このあたりから、私は病院や薬に対して不信感を抱くようになります……。

では本日はここまでにします。
ゴールデンウィークからブログを描き始めたのですが、仕事が始まってしまうと仕事をしながら書くのは難しいですね(´•ᴗ•;ก)
ポチポチ書いていきますのでこれからもお付き合いいただければ幸いです。

次回は、後から分かった熱性痙攣の謎(分かったとおうか推測です)と発達障害について話したいと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます😊

紫陽花がスタンバイしています。
咲くのが楽しみですね。