井伏鱒二の全集別巻一をぱらぱらとめっくっていたら、「森鷗外氏に詫びる件」について触れた新しい文章を見つけました。

 

 以下、長いけど引用しておきます。

 

 ーここより引用ー井伏鱒二全集別巻一77頁より

 鷗外の物は、上級になって読みだした。そのきっかけは、一、二度書いた。妙なイキサツがある。たしか四年か五年の時であった。鷗外の『伊沢蘭軒』が大阪毎日新聞に連載中であった。蘭軒は、福山藩主阿部正弘の侍医である。事情があって、国ではあまり評判がよくなかった。そういう人物を鷗外が書くのは怪しからんと、当時級友の,森政というのが云った。伝記というものは、伝記作者が自分より偉い人を書くべきもので、それを鷗外は、自分より下らない人間を書いているのではないかと云って、ついては、僕に鷗外に手紙を書けという。僕は朽木三助という当時私の兄がつけてくれたペンネームを使って、鷗外に手紙を書いた。(この手紙は、『伊沢蘭軒』の「その三百三」にテ二オハや用語を随所に改めただけで、載っている。それだけのことで、こうも見違えるような文章になるものかと、僕自身驚いたものであった。)鷗外から貴下のの云うことは間違っているという返事が来た。その返事の内容は蘭軒伝に詳しく載っている。ところが、森政の実兄が鷗外の手紙をほしいという。いやだというと、それではもう一度手紙をだしてくれという。仕方がないから、今度は朽木三助は死んだということにして、そのことを知らせる体で、窪田という偉い医者がいたことを書き、これはちゃんと自分の本名で出した。これにも鄭重な返事が来た。森政は、早速これをくれといったが、僕はまたやらなかった。この二通の手紙は、いま亀山の人が持っているそうだ。竹下君という人から聞いた。余談になったが、これが鷗外を読み出す動機になった。それに私は史実ものや歴史が好きだから、つい鷗外の史実ものにひかれる。(以下略)

 ーここまで引用ー

 一九五二(昭和二十七)年九月十日発行『文学』(岩波書店)第二十巻第九号(九月号)「作家に聴く」第九回として「井伏鱒二」の標題で発表。

 中野好夫編『現代の作家』(岩波新書)(岩波書店、一九五五年九月二十日)に「井伏鱒二」として収録された。底本には同書を用いた。(井伏鱒二全集別巻一六〇六頁『解題』より)

 

 既に、何回も書いてきた『森鷗外氏に詫びる件』ですが、特にこの文章では、その時の「鷗外の手紙」BとDの

行方が書かれていたので、驚きました。(下線部分参照)

 

 早速、「亀山・竹下」という名前について、この全集の編集者に尋ねてみましたが、今のところわかっておりません。残念ですが。どなたかわかったらご教示ください。