初版 1960年12月  第2版 1974年1月  第3版 1982年2月  第4版 1992年2月

 第5版 2001年3月  第6版 2008年1月  第7版 2014年1月  第8版 2022年1月

 

 この辞書の主幹だった見坊豪紀は、1992年10月21日に亡くなりました。だから、第4版までは、彼の責任で編集され、それ以後は別人が編集したということになります。

 

 この見坊豪紀は、生涯にわたって、言葉のカード、145万枚を作ったといわれています。その彼の小型辞書に対する考え方をもっともよく現しているのが、第3版の「序文」です。以下その主要な部分を引用しておきます。

 

 ーここから引用ー(『三省堂国語辞典』第3版序文より)

 さて、辞書は〝かがみ〟であります――これは著者の変わらぬ信条です。

 辞書は、ことばを写す〝鏡〟であります。同時に

 辞書は、ことばを正す〝鑑(かがみ)〟であります。

 〝鏡〟と〝鑑〟の両面のどちらに重きを置くか、どう取り合わせるか、それは辞書の性格によってさまざまでありましょう。ただ、時代のことばと連動する性格を持つ小型(小規模)の国語辞書としては、ことばの変化した部分については〝鏡〟としてすばやく写し出すべきだと考えます。〝鑑〟としてどう扱うかは、写し出したものを処理する段階で判断すべき問題でありましょう。(以下略)

 ーここまで引用ー

 

 見坊豪紀は、このように書いてその辞書作りをすすめました。〝鑑〟の例を一つ、先日書いた、『新明解』の「動物」の語釈と比べてみてください。『三国』では、2版から8版まで、この語釈は変わっていません。

 

 どうぶつえん[動物園](名)いろいろな動物を飼(カ)って多くの人に見せる(研究する)所。

 

 〝鏡〟の例は、『辞書になった男』でもいくつも紹介されていますが、故石山茂利夫さんが、見坊豪紀の遺書だと書いた、「ワードハンティング」が、用例を変更しながら、第6版まで立項されていたのに、第7版で削られたその事情を『辞書になった男』は次のように書きます。

 

 ーここより引用ー(『辞書になった男』280頁より)

 取材の終盤、飯間さんから一通のメールが送られてきた。

 「残念ながら今回の改訂(『三国』第七版)で、【ワードハンティング】の項目は削ることになりました。『一般にはほとんど使われることない』と判断したからです。見坊先生の思い入れのあることばですが、やはり辞書は第一に利用者のためのものという(これは見坊先生以来の)考え方によります。

 ーここまで引用ー

 

 私は、こんな状況を飯間氏は説明しながら、その後もテレビや自分の著作などで、何度もこの「ワードハンティング」を使っている不当をこのブログで指摘しましたが、それはまた別問題でしょう。

 

 この『三国』第8版では、「ボイン」も消えてしまい、マツコ・デラックスさんが歎いているというネットでの報告も読みました。

 

 『三国』では次のようにありました。〝鏡〟と〝鑑〟の例でしょうか。

 

 ぼいん(名)[俗]ちぶさ。おっぱい。(第二版)

 ぼいん(名)[俗]乳房(チブサ)の大きなこと。また、その乳房。[一九六七年に広まったことば](第七版)

 

 第八版から姿を消しました。