今日は井伏鱒二の忌日です。朝のコーヒータイムで少し、老妻相手に、駄弁を弄しました。
そして、部屋に帰って、ネットを見ると、「サヨナラだけが人生だ」というブログが目に入りました。
かねて、なかなかのブログと注目し、既に数回、その学識と、筆力に感心して読ませていただいていたので、今日も早速開いて読んだのですが、「井伏鱒二」の「勧酒」について述べてあり、ほぼ、納得。ただ、この詩の表記について、いささか違和感をおぼえました。
コメントを書き送るのが常套ですが、その方法が見当たらなかったので、失礼を顧みず、このブログで私の思いを述べておきます
ーここから引用ー
井伏鱒二さんと言えば原爆を素材にした「黒い雨」、「山椒魚」などが有名だが、私にとっては何と言っても太宰治さんが終世、師と仰いで敬慕していた人というイメージが強い。
そしてこの「勧酒」の意訳も有名だ。
「勧酒」 于武陵 井伏鱒二訳
勧君金屈巵 (コノサカズキヲ ウケテクレ)
満酌不須辞 (ナミナミト ツガセテオクレ)
花発多風雨 (ハナニアラシノ タトエモアルゾ
人生足別離 (「サヨナラ」ダケガ人生ダ)
ーここまで引用ー
問題は、この訳の部分です。私は次のように承知しています。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
この二つの訳を 比べると三つの問題が浮かんできます。
一 前者には「ドウゾ」がありません。
この詩の韻律については、高島俊男が『お言葉ですが…』で次のように書いています。
ーここから引用ー(『お言葉ですが…』文庫版第7巻284頁より)
いや何べんくりかえして読んでも、すばらしいものですね。
七五と七七の使いわけがみごとだ。第一句は七五で、切迫した悲しみをたたえる。膝で立って、こわい顔をして「さあ」と酒盃をつきつける感じである。第二句は七七、腰をおちつけて、やさしくあたたかい。第三句も七七、話頭を転じてしみじみ語りかける口調である。そしておしまいはまた七五で、これが人の世の常だ、とつきはなす。
ーここまで引用ー
第二句の「ドウゾ」がないと、七七の句が成り立ちません。
長くなるので、「二」以下の問題は明日以後書きます。
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