結論を先に書いておきます。

 

 「童謡・唱歌の」については、「初出の表記」をもっとも大切にすること。即ち、それぞれの楽曲の歌詞は、初出の作詞者の作詞の「かなづかい」(この場合は「旧かな」)に従うことという意味です。

 

① 表記の「かなづかい」にどんな作者の美意識が反映しているか、わかりません。あるいは、「表音主義」を掲げたい実作者がいたかもしれません。しかし、その作詞は、一つの形をとって現れたのです。先の分類に従えば、初出はすべて、「旧かな」でした。「赤蜻蛉」・「波浮の港」・「椰子の実」だけが、「旧かな」ではありませんでした。「仰げば尊し」・「青葉の笛」・「雨」・「荒城の月」・「この道」すべて、「旧かな」で初出表記されました。もう一度言います。この表記に作者の気持ちがどう残されているかわかりませんが、ただ一点、次の事実に私は拘ります。

 

 私は、国語の教師として、國學院大學の中村幸弘先生に教わることが多くあり、先生の『読んで楽しい日本の唱歌Ⅰ・Ⅱ』を常に開いているのですが、その本の「あとがき」に『岩波文庫 日本唱歌集』を参考にしているとありました。そのおそらく、最も重要な本、『日本唱歌集』、そして『日本童謡集』はすべて「現代仮名遣い=新かな」で表記されています。ただ、一人の作詞者の作品を除いて。

 

 何度も書いているので、気が引けるのですが、『岩波文庫版 花』74頁の右下に小さく次のように書いてあります。

  * 作詞者の希望により、歌詞は旧カナづかいのままにした。

 「花」と「美しき天然(同書127頁)」にこの表記がありました。

 

 編集者の堀内敬三・井上武士はこの例外の存在を認めざるを得なかったのです。

 ここに、私は、実作者(この場合は「武島羽衣」)の意思(あるいは美意識)を認めざるを得ません。そして、他の同時代の作者もその初出段階では、同じ感懐=旧カナづかいで表現したいと考えていたのではないかという答えに到達いたしました。

 

② これら「童謡・唱歌」は、おそらく、歌碑として全国に残されています。そして、そこに書かれている歌詞は初出の表現、「旧かな」だろうと思われます。小学生から老人まで、この歌碑を常に眺めています。その歌詞との整合性からも、これら「童謡・唱歌」の「歌詞」は「旧かな」で処理して欲しいと願うわけです。(私の母校の旧校歌碑は「あはれ、天地の青大気」となっています。「あはれ」であって、「あわれ」ではありません。)

 

 以上、この『我が人生の応援歌』について書いてきました。この本を「駄本」とするかどうか、朝のコーヒータイムに老妻と話し合いました。そして、結論として、「やはり面白い、老人が読むにふさわしい、が、今後再版を出す場合には「かなづかい」を何とか考慮して下さいとお願いしよう」ということになりました。

 

 くだらない、長いこのブログのお付き合い、ありがとうございました。