同窓会で、友人数人と飲むたびに、「私は教員を信用しない」という話が出ます。

 

 昭和二〇年八月十五日を境に、我々少国民を指導していた先生方が、それ以前は、素手で叩き、戦争協力を叫んでいたのに、その半月後には、猫なで声を出し、私たちをまったく別の可愛がり方をしてくれたわけです。

 

 もちろん、数人の教員に過ぎなかったでしょうが、この経験は、当時、国民学校五年生、十歳前後の少年少女にとって、強烈でした。

 

 昭和三十五年の安保闘争、昭和四十四年の東大紛争、それぞれの闘争の中で、その指導者たちは、その後どんな生き方をしてきたのか、「転向」をどう考えて生きたのか、「学術会議問題」と繋がって、多少気になります。

 

 私の敬愛していた先輩「k先生」は、闘争後、大学教師の職を捨てて、予備校の教師として、一生を送られました。

 

 「おい、お前、昨日までは、『共和党の支持、トランプ賛成』と叫んでいたのに、今日は、『民主党万歳、バイデン大統領歓迎』かい。」酒の席の話です。

 

 大きな「転向」、小さな「転向」、いろいろあって当たり前。ただ、「転向」はあまりしたくないなと思って生きてきました。もちろん、無理な話ですが。

 

 書棚から、「『共同研究 転向 全三巻』 昭和三十四年一月十日 編者 思想の科学研究会 平凡社刊行」を取り出しました。

 

 また、読んでみようかなと思っています。