何度も書いているので、恐縮ですが、「版」のまとめとして、この『辞書になった男』がどう間違っているかを書いておきます。

 

 はじめに、時系列で、『新明解国語辞典』の「初版」と「二版」の周辺をまとめます。

A 昭和47(1972)年1月24日 『新明解国語辞典』(初版)刊行

B 昭和49(1974)年1月1日  『三省堂国語辞典』(第2版)刊行

C 昭和49(1974)年11月10日 『新明解国語辞典』(第2版)刊行

D 昭和49(1974)年11月26日 三省堂、会社更生法適用申請

E 昭和51(1976)年11月30日 三省堂、更生計画案が承認され、再建へ

 

 先日、『明鏡』(初版)と『明鏡』(第二版)を比較した例を取り上げましたが、その中で、「版」の違いは、

① 「はじめに」(序文)の違い

② 「頁数」の違い

と指摘しました。

 

 これに従って、A『新明解』(初版)とC『新明解』(第2版)を比較するとこうなります。

① A 「新たなるものを目指して」 (昭和四十六年十月)

    C  「新たなるものをめざして」 (昭和四十六年十月)

 文中、「今後万人の実験を期待する」(初版)が「今後万人の実験・批判を期待する」(第二版)が異なっているだけで、まったく同じといってもいいでしょう。

② A 本文1206頁 付録33頁

   C 本文1206頁 付録33頁

 まったく同じです。

 

 すなわち、3年足らずを経過してからですが、なぜ、ほとんど同じ『新明解』を「版」を変えて出したのかということです。

 

 この点について、優れた辞書研究家の故石山茂利夫さんは、「山田先生(『新明解』主幹)がご存命だったらその理由をぜひ聞きたい」と『国語辞書事件簿』で書きます。(くわしくは、このブログ、2017・10・13を御覧下さい)

 

 私は、この二人の「辞書になった男」、「見坊豪紀」と「山田忠雄」の関係の鍵は、この『新明解』第二版、そして、その直後の「三省堂会社更生法適用申請」にあると考えるものですが、この佐々木健一『辞書になった男』でこの『新明解』第二版について書かれた文は次のただ一行のみです。

 

 『三国』第二版が出版された同じ年の一一月に『新明解』も第二版を刊行した。(同書224頁)

 

以上、「版」と「刷」のまとめといたします。