もう少し前になりますが、この7月7日の地方新聞に次のような記事が出ました。

 「谷崎潤一郎 未発表書簡ー東京できょう入札ー妥協なき創作姿勢にじむ」

 ーここから引用ー

 作家谷崎潤一郎が大正時代に雑誌編集者に宛てた未発表の書簡が6日までに見つかった。東京古書会館で開催中の「明治古典会 七夕古書大入札会」に出品されている。既に送った小説原稿について、締め切り間際に慌てて手直しを申し入れる内容で、研究者は「間違いなく本人のもの。妥協なく作品に向き合う創作姿勢がうかがえる」と評価する。7日に古書店主らによる入札にかけられる。(中略)

 この年の1月から中央公論で連載が始まった小説「鮫人(こうじん)」を巡るやりとりで、3月号が「誤字、殊に脱字(ヌケたのでなく印刷不鮮明なところ)非常に多し」と苦情を申し立てるところから始まり、3月号を読んだ結果、提稿済みの4月分をに矛盾する箇所を見つけたとし、「即刻訂正」するため、原稿を送り返してほしいと頼んでいる。(後略)

 ーここまで引用ー

 

 先日来、井伏鱒二の「丹下氏邸」の文章にとりつかれています。勿論、「備後方言」が中心ですが、やはり、その一つとして、丹下氏の家僕の呼び名が、最初は「谷下英亮」で「ヒデ・ヒデ」とあり、後に同じく「谷下英亮」を「エイ・エイ」と書いています。総ルビの改造社版『丹下氏邸』(昭和6年)がそうなっているので、驚いていたわけです。

 

 井伏鱒二には生前に二度の「全集」が出版されますが、そこでは、「エイ・エイ」と訂正・統一されています。ところが、死後刊行された「全集」は、「初出」を大切するという姿勢で編集されたためか、「ヒデ・ヒデ」と「エイ・エイ」が混在したままになっています。だから、うっかり読むと、話が通りません。井伏は、谷崎と違って、そんなことには拘らないと言ってしまえばそれまでですが。

 

 果たしてどちらがいいのか、やはり「無理題」でしょうね。