私は、現職の時、教生に来た国語教師の卵に、二つの本をかなりきびしく勧めていました。
一つは、平凡社『日本語の歴史』全七巻です。特にこの本は、亀井孝と山田俊雄という二人の最高の日本語学者が本気で書いたという意味で、特別な意味を持っているのですが、今日は触れません。
もう一つは、『諸橋大漢和辞典』です。乏しい、給料の中であっても、「この辞典だけは買って使えよ」と教えました。
この辞典が、今日、ネットで全一四巻揃って2000円で売り出されていました。喜ぶべきか悲しむべきか。
駄目な本としてこれくらい参考になるのは少ないので、また引用します。
ーここから引用ー(『日本語を作った男ー上田万年とその時代』序章16頁より)
それにしても、自分だって「鷗外」と書いて「おうがい」と自分で発音しているじゃないか、と万年は思う。それをどうして「あうぐわい」と書く必要があるのだ、「おーがい」と書いたほうがもっと分かりやすい。「鷗」に「あう」、「外」に「ぐわい」と振り仮名があるのは、そういう発音がむかしあったからで、時代を経て明治の今となっては、だれもそんなふうには発音していない。それを踏襲(とうしゅう)する意味がどこにある。
ーここまで引用ー
『諸橋大漢和』で「鷗」と「外」を調べてみましょう。
「鷗」 巻十二 870頁 オウ
「外」 巻三 321頁 グワイ
森鷗外を森「アウグワイ」と読むことはありません。それなのに、この本では平気で「『あうぐわい』と書く必要があるのだ」と書いているのです。旧仮名遣いでは、「おうぐわい」です。「あ」と「お」の一字の違いですが、「かなづかい」の専門家は絶対に間違うことはありません。池澤夏樹さんはこの本の書評でこの部分を、きっちりと「おうぐわい」と勝手に直して引用しています。さすがです。
揃って、2000円で買えるのなら、その研究室に買い揃えて、しっかり引き、調べて欲しいというのが私の率直な感想です。
古書がどんどん安くなっています。これまでは、「我が家にこれこれ揃っているよ」と老妻に自慢していたのですが、もう終活、『諸橋大漢和』を含めて、どう処理しようか、朝のコーヒータイムの話題が貧乏くさくなってしまいそうです。
しかし、「国語の教師たるものは、やはり、この二つのセットだけは持っていて欲しい」と老人は願っています。