この全集のことを探る基本資料の一つに、『筑摩書房図書総目録』(以下、『筑摩目録』)という大冊があります。この本の203頁「第26巻芥川龍之介集」の配本日時の誤りはすでに指摘したところですが、この『現日』の記述の最後に次のような(注)が記されています。

 

 ーここより引用ー

 注)当初は全55巻で刊行を始め、間もなく全56巻になった、第1巻から第50巻までは完結したものと同じであるが、以下は

 第51巻 椎名麟三 野間宏 梅崎春生 田宮虎彦集

 第52巻 中島敦 大岡昇平 武田泰淳 三島由紀夫集

 第53巻 現代短編集

 第54巻 現代戯曲集

 第55巻 現代詩歌集

 第56巻 現代評論集

 の予定であった。50回配本の頃、増巻を発表した。

 ーここまで引用ー

 

 この最後の「50回配本の頃、増巻を発表した」という部分をもう少し明らかにしようとしたのが、もう一つの基本資料「日本文学全集の時代」田坂憲二です。これも引用させてください。

 

 ーここより引用ー

 小さなことであるが、『筑摩目録』のこの部分の情報について述べて起きた。「50回配本の頃増巻を決定した」とあるのだが、正確極まりない記述の同書としては「頃」というのは、珍しくおおまかな記述である。

増巻を決定した折の内容見本を見ると、その混乱の背景が見られる。全九七巻別巻二巻の全貌を最初に開陳した内容見本は、冒頭に「『現代日本文学全集』増巻に当って」の文章を置いており、そこには「すでに四十四回の配本を終わりました」とある。一方、巻末には「既刊四十五冊」と記して、一覧表が掲げられている。表現を統一するならば「四十五回の配本」ありたいところである。ところが、一覧表に掲出されている冊数を数えてみると四六冊あり、四六回配本の『里見弴・久米正雄集』(五六年三月)まで並んでいるのである。恐らくは、四四回配本『水上瀧太郎・久保田万太郎集』(五六年一月)の配本終了後に、増巻の詳細を決定して、冒頭の「『現代日本文学全集』増巻に当っ」の作成に入ったが、四五回配本『小林秀雄集』(五六年二月)刊行までには間に合わず、急遽次回配本の、四六回配本『里見弴・久米正雄集』の名前も入れたのであろう。かくしてこの内容見本が完成したのは五六年二月の『小林秀雄集』刊行以降、三月初旬と考えておきたい。こうした混乱があるので『筑摩目録』では、増巻決定の時期を「五〇回配本の頃」と

概数で記したのであろう。

 ーここまで引用ー

 

 これは、この文の作者田坂憲二が、「内容見本」を元に考えるから混乱するのであって、「新聞広告」によるとはっきりします。

 昭和31年3月6日「朝日新聞」の『現代日本文學全集』の広告中の「“現代日本文學全集”增巻にあたって」は次のように書いています。

 

 ーここから引用ー

 小社の「現代日本文學全集」は、読者各位の圧倒的な支持の下に、すでに四十五回の配本を終りました。編集部としては当初から最小限八十五巻を考えていたのですが、朝鮮戦争の見通しさえつきかねるような時であったために、あれこれの事情を考え、全五十六巻に圧縮ぜざるをえなかったというのが実情であります。(以下略)

 ーここまで引用ー

 

 『日本文学全集の時代』が誤っているのではありません。ただ、「増巻発表の日」は明らかです。

 

 長くなるので、項を変えて続けます。