上皇、上皇后と同じ年代、昭和と平成を生き抜いてきて、洒落ではないけど、「もう、えレエワ!」と呟きながら、新元号を言祝いでいます。
「井伏鱒二」については、その「本文の校異」について、すぐれた学者の研究が既にいくつもあるということをその道の専門家である前田貞昭先生から教わり、「もう終わり」ということにしました。
そこで、最後の「無理題」、「ミステリー」として、名作『丹下氏邸』から、「ヒデとエイ」を選びました。
『丹下氏邸』の登場人物は、話し手である「私」と、①「丹下氏」、②「老僕」、そしてその妻「谷下オタツ」の4名にしか過ぎません。
この①・②の名前について、少し教えてくださいというのが本稿を書いた理由です。
①については、初出の昭和6年2月雑誌「改造」が「丹下亮太郎」とし、「たんげりょうたろう」とルビを振っています。元の原稿にはルビはありません。「りょうたろう」は「りやうたろう」かもしれませんが。
問題は②です。元の原稿にはルビなし、総ルビ付きの「改造」は、こう書いています。
ーここから引用ー
「私(わたし)は男衆(をとこしう)が谷下英亮(たにしたひですけ)といふ名前(なまへ)であることを知(し)った。丹下氏(たんげし)は常(つね)にこの男衆(をとこしう)を呼(よ)ぶとき、「ヒデ・ヒデ」といつて呼(よ)んでゐる。
ーここまで引用ー( )内は「ルビ」です
ところが、この後、「丹下氏」が「私」に尋ねる言葉が出てきます。
ーここから引用ー
「うちのエイに来ました手紙は、どのやうな文面でありましたらうか」
ーここまで引用ー
以下、十カ所近く、この男衆のことを「エイ」と呼ぶ場面が出てきます。
いったい、この男衆の名前は「ヒデ」なのか「エイ」なのか?
この男衆は、自分の名前のわからない幼い時、この丹下氏に貰われました。だから丹下氏が名付け親です。「谷下英亮」は「丹下亮太郎」の姓と名の一字をそれぞれ貰ってつけたのでしょう。「ひですけ」・「えいりょう・えいすけ」どれも呼び名として可能です。
そこで、まず「ヒデ・ヒデ」が出てくるのですが、これでは、後にでる「エイ」と繋がりません。だから、混乱するのです。
作者生前の『井伏鱒二全集』、『井伏鱒二自薦全集』は、先の引用部分を「エイ・エイ」と訂正しました。
これだと問題はありません。筑摩書房版『現代日本文學全集』も、「エイ・エイ」としています。
ところが、死後編集された筑摩書房版『井伏鱒二全集』は、これをそのまま「ヒデ・ヒデ」としています。底本とした初出頃の原文を採用したからでしょう。
「たかが、登場人物の名前」ということで終わる話ではないでしょうが、この「いなげな話」、さすが「備後弁の使い手、井伏鱒二」ということで一応終わりにいたします。もしや、新説などあればご教示ください。
「もう、えレエワ!」(「もう疲れてしまった、止めよう!」ー備後地方の方言)などと言わないで。