パソコンのネット画面を開けると、「検索」という空欄が出て来ます。ここに、日本語を入力し、クリックすると、すぐに、百科事典以上の、今手に入る情報全てを見ることができるような気がしています。

 

 すなわち、素人考えでは、巨大な「データベース」が誰かの手によって作られて、それをいつでも「検索」出来るのがネットの利用方法か、と勝手に考えているのですが。

 

 例えば一例。

 「日本の古本屋」をまず、「検索」します。そして、そのHP画面で、求める書籍の書名を検索すると、全国の古本屋さんの出品しているいくつかが示されるわけです。

 そして、その古書店に電話すると、探し求めていた古書が、数日後送られてくるという便利さ。

 

 例えば一例。

 このブログの題名「無理題に遊ぶ」をネットで検索すると、すぐ現れます。

 

 その右上の「検索」欄に求めるテーマ(既に書かれた)を打ち込みクリックすると、「アメブロ」の「無理題に遊ぶ」という題で書かれた「データベース」から、文字群を「検索」することが簡単に出来ます。

 

 一つだけ紹介します。

① ネット画面から、「無理題に遊ぶ」を「検索」してください。

② おそらく、昨日書いた「データベース」・「検索」・「索引」 ① が出て来ますから、右上の検索画面に「君たちはどう生きるか」と打ち込んで検索して下さい。

③ 私は、この『君たちはどう生きるか』を、中学1年(昭和22年)に担任に読んでもらいました。その思い出を「2009・11・17」から3日に亘って書きました。

④ 自分史を書く趣味はありません。しかし、あまりにも鮮烈な思い出なので、書き留めておきました。(因みに、その時、この本を、恐らく自分の本棚から取り出して読んで下さった担任は、既にお亡くなりになっていますが、現在、ラジオ・キャスターなどれ有名な小林克也のお母さんの小林良江先生でした)

 

 私は、入試問題の「データベース」は自分で作り、利用していますが、こうして、1700回以上も書いているこのブログがある意味での「データベース」になっていること。そして、いつでも「検索」できることに驚き、感謝しています。

 

 もう残りわずかしかない人生ですが、この「利器」を使って楽しみながら過ごそうと思っています。