「字脚」という言葉は、今のところ、私の知り得る範囲での、どの辞書にも立項されていません。
しかし、後に紹介しますが、明治末から大正時代にかけての、「童謡・唱歌」の作詞・作曲家たちの間では、普通の用語だったのではないかと思われます。
では、「字脚」とはどんな意味を持つものでしょうか。一つだけ、例として『荒城の月』を挙げておきます。
『荒城の月』 土井晩翠作詞 明治三十四年三月ー『中学唱歌』より
一 春(はる)高楼(こうろう)の花(はな)の宴(えん) 二・五・三・二
めぐる盃(さかずき)かげさして 三・四・二・三
千代の(ちよ)の松が枝(えわけいでし 三・四・五
むかしの光(ひかり)いまいずこ 四・三・二・三
二 秋(あき)陣営(じんえい)の霜(しも)の色(いろ) 二・五・三・二
鳴(な)きゆく雁(かり)の数(かず)見(み)せて 四・三・二・三
植(う)うるつるぎに照(て)りそいし 三・四・五
むかしの光(ひかり)いまいずこ 四・三・二・三
三 いま荒城(こうじょう)のよわの月(つき) 二・五・三・二
替(かわ)らぬ光(ひかり)たがためぞ 四・三・二・三
垣(かき)に残(のこ)るはただかづら 三・四・五
松(まつ)に歌(うた)うはただあらし 三・四・二・三
四 天上(てんじょう)影(かげ)は替(かわ)らねど 四・三・五
栄枯(えいこ)は移(うつ)る世(よ)の姿(すがた) 四・三・二・三
写(うつ)さんとてか今(いま)もなお 七・三・二
嗚呼(ああ)荒城(こうじょう)のよわの月(つき) 二・五・三・二
この後ろの音数律は、学校文法(橋本文法)の「文節」という考え方によって分けてみました。
これによって、変だなと感ずるのは、「一番の『めぐる盃』」と、「三番の『松に歌うは』」の二個所です。
当然、生前の土井晩翠に『字脚』の考えはなく、それはそれで仕方ないのですが、作曲者の滝廉太郎はどう思ったでしょうか。
「お言葉ですが…」の高島俊男は、「めぐる盃」の歌いにくさを「滝廉太郎の作曲」の故にしていますが、こうして、『字脚』を考えるならば、「土井晩翠の作詞」に問題があるということがわかります。