昨日のコメントに、予想通り、異論が寄せられました。

 整理して考えたいと思っています。

 コメントの終わりは次のように書かれていました。

 「『お父さんのお仕事はツートントンだよ』は特に変わったところのない普通の会話ではないでしょうか。露伴だからとて特別視するのはおかしいと思います。」

 

 この問題を整理するために、二つの軸を用意いたします。

㋐ 「ツートントン」は「通信技師」を意味する幼児言葉。

㋑ 「ツートントン」は「ホ」の意味を表す、モールス信号。

 

 続いて、登場人物です。

① 幸田露伴ー1867年生まれ。1887年通信技師をやめ、上京。以後、作家となる。

② 幸田文 ー1904年生まれ。筆者青木奈緒の祖母。

③ 旧電電公社中央電気学園の学生。1970年幸田文の講演を聴く。

④ 青木奈緒ー③の講演の「CD」を手に入れ、『文藝春秋』2013年12月号に「ツートントンの娘」を書く。②幸田文の孫。

 

 A 「露伴(①)は生涯、出発点となった余市を忘れず、祖母(②)にも『ツートントンの娘』であると言って聞かせた。

 これは④に出てくる文ですが、果たして「㋐=通信技師」という意味だけで、幼い女子(②)に伝えたのでしょうか。あるいは、伝える意味があったのでしょうか。(㋑の意味を含んでいないかどうかです)

 

 B 「講演は『ひびき』と題され、祖母は自分のことを『ツートントンの娘だと思っています』と言う」

 これも④に出てくる文ですが、これを聞いた③は「モールス信号」のおそらく専門家です。「ツートントン=通信技師」と受けとめたか、「ツートントン=『ホ』」と受けとめたか。

 

 加えて、

 Ⅰ 幸田露伴の余市での通信技師時代(1887年頃)に、「ツートントン」が「イロハ」の「ホ」を表す信号でなかったら、私の論は成立しません。

 Ⅱ モールス信号の代表として、「い」=トン・ツーではなく、「ほ」=ツー・トントンが使われていたならば、あるいは私の論は成立しないでしょう。(「幼児語論」はここに根拠ありと考えます)

 Ⅲ Ⅰ・Ⅱでなければ、「露伴」は幼い「文」に「お前は『ツートントン=ほ(惚)』の娘だよ」と言ったと考えることも出来るのではないでしょうか。

 Ⅳ 幸田文は、㋑だと知っており、聴衆の③の反応を探りながら話を進めたのではないでしょうか。

 Ⅴ 本文の作者青木奈緒が㋑を考えていたかどうか、わかりません。おそらく、知らないまま書いたのではないかと勝手に、私は推測していますが。

 

 以上、私たち老夫婦にとって、本当に面白い話でした。「誰か、国文科の卒業論文に書いてくれないかな」という願いもこめて終わります。