昨日つぶやいたブログが、まるで聞こえたように、今日、集英社インターナショナルからメールが届きました。

 「お問い合わせやファックスなど、貴重な御意見をありがとうございました。
 今後の参考にさせていただきます。」

 『日本語を作った男ー上田万年とその時代』という本についての件、一応終わりにして、今後、出版社や筆者(山口謠司)がどう対応するか、じっと見守りたいと思います。ちょっと大げさですが、「文化としての出版のあり方」を見極めたい気がしていますので。

 さて、昨日の続きになりますが、中村幸弘先生が「底本とした」という、岩波文庫版『日本唱歌集』とはどんな本かをまず紹介しておきます。

① 1958年12月20日 第1刷発行
② 1998年 6月15日 第59刷発行
③ 2016年 5月25日 第81刷発行

 私が持っているのは、②ですが、その中で、ここはどうかと注目点を選び、書店で③を盗み見たところ、まったく同じであったので、買うことを止め帰りました。

 あるいは、「刷」によって異なることがあるのかという疑問もあるのですが、私の確認では同じなので、②を「底本」として話を進めます。

 この岩波文庫版『日本唱歌集』の問題点の一つは、「まえがき」にあります。

 ーここから引用ー(岩波文庫版『日本唱歌集』「まえがき」より)

  明治十四年(一八八一年)十一月、文部省音楽取調掛(とりしらべかかり)編集の『小学唱歌集』出版を起点とし、昭和二十年(一九四五年)八月の戦争終結に至る六十五年間に、官・民諸方面から発表された数多くの唱歌の中から、注目すべき作品百五十余篇を選抄(せんしょう)して、『日本唱歌集』一巻としました。

 (中略)

 集録しました各作品の文字表現については、それぞれ、原稿で作者と著作権者の方(かた)に再検討していただきましたが、いまの子どもたちでも読めるように、作者と著作権者の諒解(りょうかい)をえて、現代かなづかいに改め、多少のふりがなを施(ほどこ)しました。ただ、本書の初版発行までに、加藤義清氏の御遺族の方の所在をあきらかにすることができなかった為、これらのかたがたの作品については、初発表の表現のまま(現代かなづかいに改めて)収めざるを得なかったことを、おことわりしておきます。

 (以下略)

 ーここまで引用ー

 ここに書かれているように、集められた唱歌はすべて、戦前のものであり、それはほとんど、歴史的仮名遣いで発表されていたはずです。それを、「いまの子たちでも読めるように」「現代かなづかい」に改めたわけです。
 ところで、後半部の太字(稿者の施したもの)の部分が分かりますか。「これらのかたがた」とは複数の人々のことでしょう。しかし、その前には、加藤義清氏しか出てきていません。

 奇妙な表現ですが、おそらく、文部省唱歌など、作詞者の判明していないものが数多くあります、その場合は、作者あるいは著作権者の諒解をとらないまま、現代かなづかいに改めたという気持ちが「かれら」という表現になり、こういった訳の分からない文章になったのかなと勝手に推測しています。

ともかく、加藤義清氏の『婦人従軍歌』は、現代かなづかいに改められて掲載されています。

 そして、ただ一人、この初版の段階で「現代かなづかい」に改めることを拒否した人物がいます。

 武島羽衣です。

 その作詞した曲は、『花』と、『美しき天然』ですが、この二曲だけ、「旧仮名づかい」で表記されています。

 この表記については、また、後日触れることになりますので、この本の出版された当時、なお健在であった、武島羽衣だけが「現代かなづかい」に改めることに抵抗したことをぜひ記憶しておいて下さい。

 今日は、中村幸弘先生が、この本を「底本」としたことで、どんな過ちを犯したかについて書こうと思っていたのですが、長くなったので、明日にします。

 お疲れ様でした。