今日、友人が電話をくれました。

 「また、出版社にクレームをつけているらしいね。ブログではよくわからんが。」

 「そんなことはないよ。そこに、この『日本語を作った男ー上田万年とその時代』を持っている?」

 「持ってもいないし、買ってもいないよ」

 「では、ちょっと聞いて。私は三つのことしかしていないのよ」

 「まず、一つは、『私は御覧の通り委員の中で一人軍服を着して居ります』の『着(ちゃく)して居ります』のルビが『着(き)して居ります』となっていたのよ」

 「そして、『明治四十一(一九〇八)年六月二十六日、午前二時十分を少し過ぎて臨時仮名遣調査委員会、第四回委員会が始まっていた。』というのを読んで、『午前二時』に『委員会』を開くことがあるのかと疑問に思ったのが二つ目。

 そこで、これは前からネットを開くと、国会図書館のデジタルでいくらでも当時の文献を探ることができると知っていたので、『臨時仮名遣調査委員会』と打ち込んで検索したら、すぐ当時の『速記録』が出てきて、上田万年が司会なんかしていないし、発言もしていないとわかったのよ。これが三つ目。」

 「へー、たったそれだけ。」

 「そうですよ。こんな疑問、『序章』の初めの一頁だけで持ったんだが、特別ですかね。そんなことないだろう。この本の書評はいくつもでているんだけど、それらの書評家は、この最初の頁の三点の疑問を持たなかったのだろうかと思って面白がって動き出したわけ。」

 「本を見なくても、持ってなくてもよくわかったよ。頑張って!」

 こんな会話でした。

 きっかけはこの三点でした。本当に、世の書評家は、こんな疑問を抱かないのでしょうか。不思議でなりません。

 老妻は、もう年だから止めなさいと厳しく言ってます。

 嗚呼!たったこれだけなのに。