上田万年のもう一つの理由を、大野晋はこう書きます。以下、これまでと同じ本からの引用です。

 ただ上田万年は国語国字問題に深い関心を持ちながらもその解決のためには学問的な裏づけが必要であると考えていた。そこでこの国語調査委員会は、当然、「官」の力を使いながらそれぞれの分野の決定に、学問的な確実な基礎を持とうとした。それ故国語調査委員会の報告には今日の目から見て極めて高度の学問的業績が残されている。
 国語調査委員会の研究結果のうち公刊されたものを摘録してみよう。
  〇 『仮名遣及び仮名字体沿革史料』(一冊) 大矢透
  〇 『仮名源流考、証本写真』(二冊) 大矢透
  〇 『現代古音考』 『周代古音考韻徴』(二冊) 大矢透
 これらについては大矢透の項においてすでに述べた。
  〇 『疑問仮名遣』(二冊) 本居清造
 これは、契沖の『倭字正濫鈔』、楫取魚彦(かとりなひこ)の『古言梯』などに取扱われなかった単語で、仮名遣上問題のある語を一語一語取り上げ、古い文献に徴して仮名遣を決める作業を行った著述である。こうした縁の下の力持ちのような仕事が積み重ねられていることによって、いわゆる旧仮名遣は堅牢な学問的基礎を得たのである。(しかし現代仮名遣には、こうした研究に匹敵する学問的な労作を欠いている。そこに現代仮名遣の大きな弱点がある。)
  〇 『国語史料 鎌倉時代之部 平家物語につきての研究』(三冊) 山田孝雄
  〇 『口語法』(一冊) 大槻文彦起草。上田万年、芳賀矢一、藤岡勝二、保科孝一整理
  〇 『口語法別記』(一冊) 大槻文彦
 『平家物語につきての研究』は延慶本平家物語が鎌倉時代の言語を伝えていることを明らかにし、その内容を細かく分析的記述している。『口語法』は明治末年頃の教養ある東京人の口語を標準とし標準語の語法を記述したもの。『別記』は、方言と歴史とを考えて『口語法』の記述を標準と認めた理由を明らかにしている。
  〇 『音韻調査報告書』(一冊)
  〇 『音韻分布図』(二九枚)
  〇 『口語法調査報告書』(二冊)
  〇 『口語法分布図』(三七枚)
 これらは標準語制定を目標として、発音がどのように分布しているか、また語法上の事実が方言的にどのような区分を示すかを、全国的な規模で調査した最初の報告である。上田万年、新村出以下の協力によって調査項目が決定され、全国各府県の師範学校・教育会等の協力を求めて全日本の発音についての地図が作成された。また語法においては、富山、岐阜、愛知県の東境が東西方言区劃の線であるかとを明らかにした。また語法上の古形は九州に多く残り、四国・中国の西部がこれにつぐことも明らかにした。なお国語調査委員会では、『国語国字改良論説年表』『送仮名法』『漢字要覧』『方言採県簿』等を編集した。
 上田万年はこれらを統轄して研究の方向を与え、その成果を実あらしめた主導者であった。
(太字は稿者)

 続いて、この本では、「上田万年をめぐる人々」として、その弟子や、教え子のことが書かれているのですが、もういいだろうと思います。

 以上が私の上田万年像です。

 ❶ 留学経験から、国家成立の条件としての「日本語」を、「作った」ではなく、「作ろうとした」こと。
 ❷ そのための学問的根拠をひたすら探し求めたこと。

  その過程では、森鷗外も存在しなければ(これは言い過ぎですかもしれませんが、例の有名な森鷗外の『仮名遣論』の発表の時、その場にいながら、上田万年は一言も発言していません。)、まして、夏目漱石はまったく関係ありません。

 以上、私は、大野晋の文章によって、上田万年像を作り上げていました。