インターネットで、『家庭小訓』を検索すると、デジタル国会図書館で簡単に読むことが出来ます。

 ーここから引用ー

 一 愛度き新年

愛度き新年は來れり、何故に愛度き乎。愛度しと思ふは、即ち最も愛度きものにあらずや
『元日や神代の事もおもはるる』ゆらゆらと輝き渡れる朝日に向ひ、新たなる顔を以て、新たなる年を迎ふれば、此身は恰も清浄なる、新鮮なる、世界に入りたる心地こそすれ。
新たなるは、進歩の始めなり。一の新年は、即ち人の再生の時と知らずや。復活の時と知らずや。年と共に生れ更り、年と倶に新たなり。以下略)

 ーここまで引用ー

 この文章が、この本(『日本語を作った男』に引用されていますが、次のようになっています。

 ーここから引用ー
 
愛度き新年は來れり。何故(なにゆえ)に愛度き乎(か)。愛度しと思うは、則ち,最も愛度きものにあらずや
『元日や神代(かみよ)の事もおもはるる』ゆらゆらと輝き渡れる朝日に向い、新たなる顔を以て、新たなる年を迎れは、此身は恰(あたか)も清浄なる、新鮮なる世界に入りたる心地こそすれ。
 新たなるは、進歩の始めなり。一の新年は、則ち人の再生の時と知らすや。復活の時と知らすや。年と共に生れ更り、年と倶(とも)に新たなり。(以下略)

 ーここまで引用(『日本語を作った男170頁より)

 太字は私が施したのですが、特に、「知らずや」と二度繰り返した部分、引用文は「知らすや」と「す」が濁っていません。これでは、打消しの意味が通ぜず、何のことか分からないでしょう。原文は正確に「知らずや」と書いているのにです。

 昨日の『舞姫』もそうでしたが、このように引用さえいい加減になっているのです。その原因は誰にあるのかわかりませんが、おそらく、歴史的仮名遣いをはっきりと理解していないため、他の部分に、不必要に余分な神経を使っているのではないでしょうか。筆者でしょうか、筆者から依頼を受けた学生の仕業でしょうか、あるいは、編集部のミスでしょうか。

 昨日の『舞姫』、そして今日の『家庭小訓』。それ以外にも、いくらでもこの類のミスを指摘することが出来ます。

 こんな本を作ったのは誰?と森鷗外も徳富蘇峰もあの世で憤慨しているに違いありません。