昨週木曜日、「『日本語を作った男』悪口⑸ー鷗外は怒った」を書きましたが、「舞姫」の冒頭の文章のことでした。

 われわれ、高校教師が使う、教材としての『舞姫』と異なる箇所を指摘したのですが、頭の中で、いくらなんでも、「徒(いたづら)なり」が、「やくなし」となっているのは考えられない、「異本」があるのではないかと思い、また、「いや、異本があっても『暗誦している人も少なくないだろう』という説明を受け止めれば、教科書によって暗誦した人が多いと逃げることが出来るのではないか」と、とつおいつ、あれこれ考えながら過ごしていましたが、昨夜、寝床に入って、突然、一つの本を思い出しました。

 新潮新書・今野真二『日本語のミッシング・リンク』という本です。

 慌てて、本の箱を探して、やっと見つけました。

 その本の終章「森鷗外と夏目漱石」の章に写真版が掲載されていました。

 『国民之友第六拾九號附錄』(明治二十三年一月三日発売)の下段。

 「舞姫」 鷗外森林太郎著

 ーここから引用ー

 石炭をば早や積み果てつ中等室の卓のほとりはいと閑かにて熾熱燈の光の晴れがましきもやくなし、今宵は夜毎にここに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて舟に残りしは余一人のみなれば
五年前の事なりしが平生の望み足りて、洋行の公命蒙ふりこのセイゴンの港まで來し頃は目にみるもの耳に聞くもの一として新しからぬはなく筆に任せて書き記したる紀行は日ごとに幾千言をなしけん當時の新聞に載せられて世の人にもてはやされしかど今日になりて思へば

 ーここまで引用ー(太字は稿者、異同を示すため)

 夜中に起きて、この写真版と、『日本語を作った男』320頁とを照合しました。

 やはり、『日本語を作った男』の引用原文は、この「国民之友」であろうと判断したのですが、それにしても、この『日本語を作った男』の引用の仕方のいい加減さには驚きました。この原文との違いの方が、教科書と比較しての違いより数が多いので、驚きました。

 「鷗外が怒った」という副題は間違っていたかと心配しましたが、やはり、「鷗外は怒った」に違いないと自分を慰め、何とか眠ることが出来ました。

 しかし、「原文はこちら」であったという事実は明らかなので、ここで、謝っておきます。そして、訂正をしておきます。申し訳ございませんでした。

 こんな話がいくつかあるので、今週もまた書き続けます。番外編です。