『日本語を作った男ー上田万年とその時代』の書評は、いくつも新聞その他で出たようです。

 集英社インタナショナルの公式記録をネットで検索すると、

 4月5日、「週刊現代」(4月16日号)に高野秀行先生『日本語を作った男ー上田万年とその時代』書評掲載。

 5月9日、中央公論6月号に小池昌代『日本語を作った男ー上田万年とその時代』書評掲載。

 この間に、出た書評が、上記を含めて、12本、すべて、書評者に、「様」「先生」、そして笑ったのは、「林望師匠」、いずれにしても敬意満々、本当に面白い現象でした。

 その他に、私が知る限りでは、アマゾンですが、最高点の「5」を付けたレビューが10。「2」をつけた二人のうちの一人はかなり皮肉を書いていました。

 例えば、これら書評の一例をあげると、こんな具合。

 ーここから引用ー

 17章立て、500ページを越える大冊だが、リズミカルな短文が続き、指はすぐにも次のページへと移ってゆく。エピソードも満載で、極め付きは上田の愛娘(まなむすめ)が円地文子ということ。漱石、そして円地作品もあわせて再読したくなってくる。

 ーここまで引用ー

 引用するのが恥ずかしくなるような文が並んでいます。最初の頁に、編集部の認めた二箇所の誤りがあります。「指がすぐにも次のページへと移ってゆく」なんて、どんな読み方をしてるんでしょう。田中綾教授は。

 おそらく、他の、「先生、様、師匠」、みんな同じようなものでしょう。
 
 ただ、本気で勧める限り責任があるのは当然です。また、その内容について、詳細に報告する機会があるかもしれませんが。

 私は、あの、書評というジャンルを確立したと言われる丸谷才一さんが生きていて、もし、この本の書評を書くことになったら、どう書かれただろうかと思いを馳せるわけです。

 彼は、死ぬまで、歴史的仮名遣いに拘りました。

 きっと、次の点だけは、その書評で間違いを指摘するはずです。この本の「はじめに」の文章についてです。

 ー以下引用ー

 さて、本書は、多くの引用文から成っている。学術書であれば、もとより正確にそれらを引いて示すべきであろうが、本書では、読みやすさを優先するために、旧漢字はすべて常用漢字に直し、また漢字カタカナ交じり文も、必要なものを除いて、すべて漢字ひらがな交じり文に直した。さらに、旧仮名遣いも現行の仮名遣いに直してある(たとえば、促音の「つ」の表記、「いふ」→「いう」に直すなど)。ただし、勅語、歌詞など歴史的ニュアンスが強いものは例外とする。また踊り字に冠しては一律で訂正して古く使われた踊り字の記号は使用しない。

 ー以上引用ー(同書「はじめに」5頁)

 学術書など関係ありません。書き手の意志を尊重して、書いたとおりに表記引用するのが、この本のような「日本語」関係の本の常識です。

 旧仮名は、丸谷才一から、最近の阿川弘之まで続いています。そして、彼らはそれを信念としていたわけです。

 こういう事実を知らぬ振りして、しっかりした知識もなしに、旧仮名で書かれた文章を新仮名に直して書いたために、誤字、誤植だらけのつまらない本が出来上がったのだと、私は、今、考えています。

 従って、「重版の場合には訂正する」という、集英社インターナショナルの回答は、「絶版」にして、「原文尊重」の表記法をとると明記してほしいと願っています。すなわち、「別の本」になるということです。

 長い間のお付き合い有り難うございました。