もう一つ、忘れていたわけではないのですが、どんな意味があるのかわからなくて、そのままにしておいたことを書いておきます。

 「漢字嫌いの外山正一」と題して、当時「かなのくわい」の会員だった外山正一のことが書かれています。その最後の引用された文(明治17ー1884)は次の通りです。
 
 ーここから引用ー

 余の考にては漢字を廃することは国会開設よりも宗教改良より急務なりと思はるる〔思わるる)なり

 ーここまで引用ー(同書76頁より)

 ところが、次の表題は「新しい『詩』とあって、その冒頭にこう書きます。

 ーここから引用ー

 明治18(1885)年、外山が作った詩に曲がつけられた。今でも防衛大学校、警視庁などで歌われる「抜刀隊」と題するものである。

  我は官軍我(わが)敵は    天地容(いれ)ざる朝敵ぞ
  敵の大将たる者は       古今無双の英雄で
  之に従う兵(つわもの)は   共に剽悍(ひょうかん)決死の士
  〔以下略) 

 ーここまで引用ー(同書77頁より)

 漢字を廃することを主張した、その舌の根も乾かぬうちに、こんな詩を作るなんて到底考えられませんが、さすがに、外山正一とこの詩について、正岡子規は次のように書いています。

 ーここから引用ー

 ヽ山先生(外山先生)が文學に於ける功は世人に新体(體?)詩なる観念を印記したるのみにして其著作は毫も文學士の價値ある者に非ず。然れども彼時に方(あた)りて新体(體?)詩と云ふ論説を草して千萬言を重ぬるは終に一篇七五的長歌を作りて之を世に示すの有力なるに及ばざりしものにして文學の幼稚なる當時に彼書の持て囃されし所以なり。見よや今日の少しく心ある者は皆是に唾するの時代に於て無學の兵士と小學の生徒は猶彼抜刀隊の歌を以て無上の名作と爲すに非ずや。

 ーここまで引用ー(正岡子規『新體詩』より)

 いや、この詩の内容がどうだというのではなく、「漢字嫌いの外山先生」の次に、「新しい『詩』」として、こんな漢字交じりのくだらない「新体詩」を例として取り上げる、その著者(山口謠司)の考えがわからないのです。なんと説得力のない書き方だろうと感心した次第です。

 これで、終わります。

 書評の筆者は、もうそれぞれ、いろいろ、反省もなさっていらっしゃるだろうから悪口を書きません。

 後は、著者ならびに、当の出版社がどう考えるかです。

 楽しみにして待っています。

 あっ、最後に一言忘れていました。『辞書になった男』は存在しますが、『日本語を作った男』は存在しませんよ。「日本語」とは「作る」ものではないからです。私の「考え」です。