、このブログでは、身辺の出来事を報告しません、また、土曜日に書くのも異例ですが、今日、若い友人のお通夜に出かけて、今帰ったところで、やはり、書いておこうと思い、アメブロを開きました。

 亡くなったのは、同じ学校の国語の教員生活を一緒に送った、七才年下の友人です。

 彼とは、共に酒を飲み、ある時には、お互いに、授業を見せろ言い合った仲でしたが、肺ガンでアッと思う間に行ってしまいました。

 そして、今日、最後の別れをしました。

 彼は、つねづね、作詞もするし、作曲もする、音楽的才能に恵まれていると威張っていました。

 その彼が、私の、その学校での最後の送別会の司会を担当して、私に、「高殿」(島崎藤村詩)を歌うように強要しました。そのセリフで、彼は、「これは小林旭の『惜別の歌』ではないんだ。藤村の『高殿』なんだ」ということをしつこく説明し、伴奏なしで「さあ歌え」と言いました。

 私が歌ったのは「寮歌」でした。
 
  妹
  とほきわかれに 
     たへかねて
  このたかどのに
     のぼるかな
 
  かなしむなかれ
     わがあねよ
  たびのころもを
     ととのへよ
  姉
  わかれといへば
     むかしより
  このひとのよの
     つねなるを
  
  ながるるみづを
     ながむれば
  ゆめはづかしき
     なみだかな

 小林旭の歌に比べると、まったく平板、抑揚のほとんどない、だがそれしか知らない私は、この若き司会者の勧めるままに、大声で歌いました。

 今日、棺の中の、彼の痩せた顔を見て、思わずこの歌を思い出し、小さな声で歌いました。勿論、滂沱の涙、まわりの人はびっくりしたかもしれません。

 彼は、一杯飲むと、「『寮歌』を歌え、小林旭もダークダックスもインチキだよ」と言っていました。

 歌の善し悪しはわかりません。

 ただ、彼の霊前に、私は、「寮歌」をおくるしかありませんでした。