11月16日(月)の毎日新聞朝刊運動面の記事です。これをプリントにして渡しました。

 見出しは、「立命 桜井散る」

 ーここから引用ー

 巨人からドラフト1位指名を受けた立命大の右腕・桜井(4年・北須磨)が亜大打線に屈した。二回に長短打3本を集められ、2失点、「低めの変化球を見極められ、力んで浮いた直球を打たれた。(亜大の)粘りに負けた。
しかし、三回以降は、初戦にほとんど使わなかったカーブを交えて目先を変えるなどして、3安打無失点に抑えた。自身初の神宮大会で躍動した桜井は大学4年間を「技術も心も大きく成長できた」と総括。「プロでも1年目から2桁勝利を目指す」と意気込んだ。

 ーここまで引用ー

 生徒に、「日本語独特な技巧が使われています。それはどの部分で、何という技巧でしょうか」と問いかけました。

 答えはすぐ出ました。Yという女生徒が答えてくれました。

 「『桜井散る』が『縁語』です」

 和歌の技法のうちで、「縁語」は到底教えきれません。難しすぎるからです。

 文法教科書では、いろいろ書いています。

 例えば、一例です。

 由良の戸を 渡る舟人 楫(かぢ)を絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな (新古今集)

 「渡る」の縁語で「ゆくへ」と「道」だけを挙げています。「楫」がなぜ縁語にならないかを教えることは相当難しいことです。

 私は、そんな難しいことは知りません。ただ、こんな例だけを挙げてきました。

 ○ まず消そう 火への鈍感 無関心  「火」の縁語として「消す」を使っていること。

 ○ 舟の上に生涯を浮かべ、(奥の細道) 「舟」と「浮かべ」です。

 ○ 松島の月まづ心にかかりて、(奥の細道) 「月」と「かかりて」は「縁語」だという人とそうでないという人と両方ありそうだ

 こんな話を加えて、「桜井」と「散る」の話をしました。もちろん、普通は「敗れる」というのに、わざと「散る」と言ったということです。

 もう一つ、思い出しました。戦前の大横綱「双葉山」が69連勝した後、「安藝ノ海」に敗れたとき、アナウンサーは絶叫したそうです。「双葉散る!双葉散る!」

 こんな話をしていると、日本語っていいなと思ってしまいます。