2013年2月6日のこのブログで、「文藝春秋」の「人声天語」のことを書きました。そこで筆者の坪内祐三さんが書いた文章を紹介しました。

ーここから引用ー(雑誌『文藝春秋』2013年2月号より)

 『文藝春秋』でコラム「人声天語」の連載をはじめた時、あるパーティーで文春のOBの人(私の尊敬する人)から、坪内さん、あそこの欄は『文藝春秋』の床の間で、山本夏彦さんもいらっしゃった場所ですから、頑張ってください、と言われたことがある。その私の連載コラムも今年六月号で十周年。『文藝春秋』百周年記念号でも続けていたい。

ーここまで引用ー

 私は、学校の図書館から一ヶ月遅れの『文藝春秋』を借りてゆっくり読むことにしています。『文藝春秋』が、その時々のニュースを敏感に捉えることをねらっているならば、私のような老人にとって、一ヶ月遅れはちょうどいいか、また、そのニュースを出来るだけ早く読みたいという若い連中の邪魔はしたくないと考えての行動ですが、これがなかなかのもの。ゆっくり読むことで、いろんな面白いことに出会います。

 例えば、今月(2015年・11月号)で言えば、出口某の日本語談義、あるいは「腑に落ちる」という言葉で締めくくっている「新養生訓」の記事など。

 その中の出色?が、「人声天語」の「金親というひょこひょこおじさん」という坪内祐三さんの文章でした。

 まったく、何を書いているのか分からないのです。いや部分的には、相撲談義だから、長い間の相撲ファンである私にとって興味はあったのですが、全体として何を言っているのかとうとう分かりませんでした。

 前には、「床の間」に「偽書」を飾っているようなものと書いて、山本夏彦の「友垣」を批判しましたが、今月の掛け軸は何でしょうか。

 どなたか、読んで、教えて下さい。この乱雑な殴り書きの意味するところを。