『日本国語大辞典』は、今のところ、日本語の最大の辞典です。以下、『日国大』と書きますが、その辞典には、「腑に落ちる」は「腑」の中項目として、「腑に落ちる」がありますが、「腑に落ちない」はありません。

ふに=落ちる[=入る] 納得できる。合点がいく。多く、下に否定の語を伴って用いる。(以下用例略)

 「多く、下に否定の語を伴って用いる」ならば、「腑に落ちない」も立項すればいいではないか、すなわち、「腑に落ちる」と、「腑に落ちない」を両方立項する、あるいは「腑に落ちない」だけを立項するのが当然だろうと思うと書いたところが、コメントが来、否定の形にはいろいろあるので、立項としては、肯定形で出し、注として、「多く、下に否定の語を伴って用いる」と書くのに問題はないとありました。

 高校で漢文を教えていると、確かに否定の形はいろいろあって、悩みます。「腑に落ちる」の場合にも、「腑に落ちない」・「腑に落ちることはない」・「腑に落ちかねない」・「腑に落ちるであろうか(反語)」などなど。

 しかし、「多く、下に否定の語を伴って用いる」と注を書く限り、否定の語の代表として、「腑に落ちない」を立項し、それに、「腑に落ちる」と肯定する場合もあると注して、用例を挙げるのが当然ではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。

 「多くは……」あるいは「伝統的には……」は「鏡」と「鑑」で言えば、「鑑」ではないでしょうか。それを立項し、あわせて、大辞典は、ある時代の「記録」=「鏡」」として残る「用例」を加えるのが当然と私は考えていました。

 否定語を伴う慣用句はいっぱいあります。一例として、中島敦の『山月記』の最初に出てくる「鈍物として歯牙にもかけなかった」とある、「歯牙にもかけなかった」を辞書で引くとどう出てくると思いますか。小辞典の例(『三国』でも何でも)、中辞典(『広辞苑』など)、大辞典(『日国大』)でどう扱っているかを予想して下さい。

 もう一つ「平仄(ひょうそく)が合わない」というのも頭に浮かびました。

 辞書比較のつもりはありません。比べて楽しんでいるだけです。

 よろしく。