天皇陛下は明日、八十一歳の誕生日を迎えられます。お目出度いことで、心からお喜びを申し上げます。

 そこで、〝傘寿〟を超えて、次の〝寿の詞〟は何かということになるわけですが、ちょっとした奇っ怪なことがあるので、それをまず書き留めておきます。

 用例採集家の見坊豪紀は、その本の中で、次のように書きます。

 ーここから引用ー

 こういうわけで、一九六四年現在で、私は知り得た長寿用語八つのうち、〝半寿〟(八十歳説)〝卒寿〟以外の六つを押さえていた。
 八十歳の方の〝半寿〟は、一九六七年に知った。
   自民党の川島〔正次郎〕前副総裁は「釈迦の教えによると人間の寿命は百六十歳、その半分の八十歳でようやく半寿の祝いをやるという。私はいま七十七歳で……(略)(「中日新聞」一九六七年一一月二日朝刊2面「記者の目」欄)
 この文章によると、仏教では人寿一六〇歳説があることがわかる。〝半寿〟(八〇歳説)も〝百寿〟と並んで仏教用語である。 (以下略)
保健同人社刊「暮しと健康」一九八二年六月号より)

 ーここまで引用ー

 ところが、見坊豪紀は、一九八二年二月、『三省堂国語辞典』第三版を出版していますが、すでにその中で、〝半寿〟を立項しています。

 はんじゅ[半寿](名) [文][「半」は「八十一」に分解できるところから](数え年の)八十一歳(サイ)(の祝い)

 彼、見坊豪紀は、〝半寿〟の八十一歳説の用例について、どこでいつ採取したかを明らかにしていません。ところが、〝半寿〟の八十歳説の用例は、一九六七年に採取したと明言するわけです。数え年で祝うか、滿年齢で祝うか微妙な時代に、こういったまぎらわしい文章の発表は納得いきません。

 まとめておきます。

 〝半寿〟という「寿の詞」には、二つの流れがあります。

❶ 仏教語で、「八十歳」をあらわす

❷ 漢字の分解により、「八十一歳」をあらわす

 見坊豪紀のいい加減な説明はともかく、〝半寿〟は❷としてちゃんと辞書に存在しました。

 先日来、呼び出している「少納言コーパス」では、二例を採集することができますが、いずれも新しく、用例としての価値もありません。

 その一つには、「九十九歳を〝白寿〟という。このほかにも、辞書にはない言葉だが、〝半寿〟は
半の旧字体である「半」から八十一歳。(以下略)」などという乱暴な説明もあります。

 今、一番大きな国語辞書の、小学館版『日本国語大辞典』初版、1975年刊にはすでに〝半寿〟は立項されています

 そして、中辞典の『広辞苑』その他、小辞典でも、『三国』は初めから、そして、『新明解』は第六版からちゃんと立項しています。 

 天皇陛下の八十一歳の誕生日をお祝いして、〝半寿〟という「寿の詞」があることを記し、この詞が日の目を見ることがあるかどうか注目しています。

 [追記] 将棋界では、盤の目が「九×九=八十一」になるところから、〝盤寿〟というとして、この〝盤寿〟(八十一歳)を立項した辞書もあるようです。