今日、市の中央図書館をぶらりと訪れました。そこで、手に取ったのが、次の本です。

 『元気なうちの辞世の句 300選』 中経出版 2004

 ぱらぱらとめくっているうちに、こんな句に出逢いました。

 ○ 飲まれずに飲んで卒寿や酔芙蓉

 ○ 卒寿こえ私は二歳天瓜粉

 帰って、ネットで作者名を検索しましたが、見つかりませんでした。したがって、この両句がいつ作られたかということも不明なのですが、ただ、「卒寿」という長寿用語が、一般に使われているということは確認しました。

 この一週間、出発は、次の文章でした。

 ーここから引用ー

 「古稀」の上には、七十七歳の「喜壽」、八十八歳の「米寿」というのがあるが、日本人の平均寿命の延長によってその上のお祝いが必要になった。見坊豪紀氏の採集によると、このごろ(稿者注 1965年・昭和40年)では、九十歳の「卒寿」、九十九歳の「白寿」というのも出来たようだ。(新潮文庫 金田一春彦『ことばの歳時記』(1973年・昭和48年)より)

 ーここまで引用ー

 ここで、私は、二つの点に興味を持ちました。

 一つは、見坊豪紀が用例収集に熱中しはじめたのは、1960(昭和35)年ごろと言われています。では、この1960~1965の間に、「卒寿」のどんな用例を採集したのだろうかという点でした。

 この点については、見坊豪紀自身は、別の本で、「卒寿」の用例は1971(昭和46)年にはじめて採集したと書いているのを発見しました。そこで、「用例『卒寿』の怪」としました。

 この点の解決方法は、二つです。

 ❶ 現在、三省堂が保管している「見坊カード一四五万枚」を探し、「卒寿」の用例カードを発見すること。
 
  見坊豪紀自身が自分の採集した用例カードを忘れていたのではないかと推測するとです。

  これができるかどうか、わかりませんが、ぜひ、三省堂の関係者にお願いしたいと思っています。

 ❷ 長寿の言葉をもっとも身近なものとして使っているのは、俳人だということを知りました。そこで、1960~1965の間に、卒寿=九十歳の年齢に達した俳人を選び出し、その句集を探すこと。

  時間と暇が欲しいところです。

 二つ目の点は、「白寿」という語は、すでに、1955(昭和30)年出版の『広辞苑』初版に立項されていたことです。この当時の『広辞苑』は、時代をリードする辞書で、その辞書を金田一春彦や見坊豪紀が開いてみなかったとは考えられません。

 では、その『広辞苑』の「白寿」の基になった用例はいかなるものかと思い、用例に一番詳しい、小学館版『日本国語大辞典』第二版をめくりました。

 用例は次の通りです。

 はくじゅ【白寿】 (「白」の字は、百から一をとったものであるところから)九九歳。また、九九歳の祝い。
*海岸公園(1961)<山川方夫>「白寿って、九十九じゃねえのか。百には一本足りねえもの」

 まず、この用例は、『広辞苑』初版(1955)より後の用例になりますので、意味がありません。

 そして、また書きたいと思っていますが、この用例は感心しません。「白寿」の用例に「白寿の語釈」を引用しても、本当の意味の用例とは言えないと私は思っていますから。

 いずれにしても、楽しく、面白がった一週間でした。

 この上は、天皇・皇后両陛下がご健在で、「米寿(八十八歳の祝い)」や「卒寿(九十歳の祝い)」という言葉が新聞に頻出すること。それを心から願って、この項のまとめといたします。

 長い間のおつきあいに感謝します。