ブログ仲間の素人学者さんから、国立国語研究所の「少納言コーパス」に、「卒寿」の用例が十三例ありますよと連絡がありました。その検索方法も教わり、その用例を見ることができました。

 結論を先に言うと、その十三枚の内、十枚はあまりにも新しく、辞書の用例比較には使えません。残り三例は、阿部みどり女の俳句でした。

○ 赤々と朝日卒寿の神無月

○ みちのくの二月恐るる卒寿あと

○ 冬の日に釦をかがる卒寿かな

 角川書店『増補俳句大系』第15巻よりとあったので、早速、市の図書館に確認に出向きました。

 1977年7月刊行の句集『月下美人』五月書房版に初出でした。

 それにしも、『俳句大系』、『月下美人』ともアンソロジーだから、いつ作られたかが問題になるのですが、阿部みどり女は、生没=1886年~1980年ということをネットで確認したので、おそらく、1976(昭和51)年10月の句だと推測できました。

 この三枚のカードの比較ですが、特に最初に挙げた「赤々と朝日卒寿の神無月」は『月下美人』第一章「山澄みて」の冒頭の句だから、資料価値は一番として、この句を「卒寿」の一枚のカードと考えておきます。

 ところで、当時の辞書は、この「卒寿」をどう立項しているのかを調べると、いずれもこの句より新しいということがわかりました。

○ 『広辞苑』 初版・二版に立項されず、三版1983(昭和58)年にはじめて立項されます。

○ 『『新明解国語辞典』 初版・二版に立項されず、三版1981(昭和56)年に初出です。

○ 『三省堂国語辞典』も、第三版1982(昭和57)年からです。

 こうしてみると、「卒寿」という言葉の使用例として、阿部みどり女の句がいかに早いかがよくわかります。

 そして、その前に、昨日書いた金田一春彦の「あいさつ状」 1971(昭和46)年と、1965(昭和40)年以前の見坊発見用例があるとすれば、「卒寿」の辞書立項がいかに遅かったかがわかります。それは、あるいは、辞書編纂者の「この言葉はこのまま使われ続けるのであろうか」という疑問、立項に対する逡巡だったかもしれません。

 ただ、まだ用例は二枚です。ぜひ、1965(昭和40)年ごろの用例が発見されるよう願っています。