「婉曲」は「えんきょく」と読みます。

 古文では、しばしば出てきます。

 「これが咲か折には来むよ」(『更級日記』
 コノ花ガ咲クヨウナ折ニハ帰ッテ来マショウヨ。

 この太字「む」が推量の助動詞「む」の婉曲用法だと説明されます。そして、「現代語ではあまり使われないから訳す必要はないよ」と教えるのが普通です。「コノ花ガ咲ク折ニハ帰ッテ来マショウヨ」と口訳します。

 この「婉曲」は、「はっきりとした表現を避けて、遠回しにいうさま」というのが意味ですが、現代の日本語としてはあまり評判がよくありません。しかし、こういう擁護論もあります。

 ーここから引用ー 

 (前略)「雨が降ってきたようですね」という婉曲表現を「なにを迷っているのだ、しっかりしろ」と怒りながら聞く日本人はない。逆に、「雨が降ってきた」と決めつけるほうが独善的、主観的表現である。自分の認知をあくまで自分のものとして表現するほうが、ずっと客観的で、冷静な表現である。古語に用いられる推量の助動詞「む」の連体形によるいわゆる婉曲用法もあいまいな表現ではないとする学説もある。
(『日本語文法大辞典』ー〝婉曲〟の項ー小松光三より)
(稿者注ー終わりの「学説」は、全体を承けるのではなく、すぐ上の「古語」以下を承けていると思います。)

 ーここまで引用ー

 実は、今週の日曜日(12月7日)、午後6時40分頃、BS4チャンネル「久米書店」というテレビ番組をつけたら、女性が、本を読んでいました。そして、「えんきょく」とあるべきところを「わんきょく」と読みました。「えっ、これ何?」ということで、真相を知りたく、日本テレビに電話しました。おそらく、一杯抗議がかかってきて、つながらないだろうと予想しながら酒を飲み、1時間後、やっとつながりました。電話相手は、当然、このミスをよくご存じでしたが、「なぜ、その場で、注意しないの?」と聞いたら、「これは録画です」という答え。びっくりしました。「録画」ならカットすることが出来ただろうに。

 何かさっぱりわからないままに、翌朝、それでもと思ってネット「久米書店」を開いたら、早速の投稿を発見しました。以下、そのブログの一部です。

 ーここから引用ー

 よりによって現代の言葉の乱れをテーマにしたこの回に、若い女性芸能人の中では教養があるとされているはずの壇密が、「婉曲」を「わんきょく」と呼んでしまったのには内舘もがっかりしたろう。収録の後で本人に指摘したかどうか気になるところだ。

 ーここまで引用ー

 なんと、この久米書店で紹介していたのは、内館牧子『カネを積まれても使いたくない日本語』という本でした。

 「どんなに安くても、この本は買わないぞ」と思ったことでした。