なぜか、新聞の皇室記事について、それを批判した論文を見つけることがなかなかできません。

 私がわずかに見つけた、風間力三 甲南大学教授の論文を紹介して、終章といたします。

 ーここから引用ー

 (前略)今ここに「反敬語という一つのまとまりを考えようとするのは、表現の全体に即したことがらである。
 それは、敬語の誤用にかんするものである。
 敬語の誤用にはいろいろなものがあるが、その中に、敬意を失うまいとするあまりかえって誤りをおかすたぐいのものがある。そして、実際の敬語の誤用のかなり多くのものがそのたぐいのものであることが注意される。
 これらの類は話し手の慎み敬いの心から出たものであるにかかわらず、結果としてその敬いの心が表れない、むしろ逆に、敬意表現の形から遠ざかってしまうのである。「反敬語」なる名で呼びたいのは、右のごときものである。

 数え年五歳の浩宮さまが、幼年期から少年期になられたことを祝う「着袴の儀」と「深曾木の儀」が、平安朝の古式豊かに一日午前九時半から東京・赤坂の東宮御所大食堂で行われた。(中略)
 皇太子ご夫妻が、感慨深げな❶表情で見守るうちに、白の祭服に身を正した戸田、浜尾両侍従が、白絹の「はかま」を浩宮さまに❸おつけになり、鈴木東宮大夫が最後にヒモを結んで「着袴の儀」が終わった。
 いったん式場からさがられて浩宮さまは、両陛下からいただいた〝童形服〟をはかま姿の上に着て、再び式場に❹現われた。右手に檜扇左手に小松とヤマタチバナの小枝を❺握っている。式場真ん中に置かれた碁盤のうえに❻仁王立ちになった。その足下には青色の小石が二つ置かれてある。
 「深曾木の儀」の始まり。これは、のびた髪の毛をそろえる儀式。鈴木東宮大夫がクシを入れてそろえ、ハサミで浩宮さまの毛さきを切り、浩宮さまは、足下の石を踏んで碁盤から❼飛び降りて、式は終わった。(新聞) (番号は稿者が付したもの。傍線は筆者風間教授の付されたもの)

 この文章の書き手が特に敬語の使い方に無知だというわけではないし、話題の中の人に対して敬意を表さないつもりでいるのでもないのである。むしろ、皇室関係の記事というので、非礼にわたらぬ心配りをしたのであるが、その慎みがかえって、右に見るような、謙譲表現によって表すべき場所に敬称を用い、敬称を付けるべき所に敬称を落とすという誤りを招来したのである。(雑誌『文法』明示書院・昭和43年12月号)

 ーここまで引用ー

 文中の「浩宮さま」は現在の皇太子殿下、そして、「皇太子ご夫妻」が現在の天皇皇后両陛下のことです。

 傍線❶については、接頭語接尾語についての敬語の問題ですが、現在の新聞記事はほとんど省略しており、問題はありません。

 傍線❸は主語が「戸田、浜尾両侍従」だから、「謙譲表現」でなければならないのに、「尊敬表現」になっていることが指摘されていますが、必ずしも「謙譲表現」にする必要はなく、「浩宮さまにつけ」で十分の所でしょう。文中の「謙譲表現によって表すべき場所に敬称を用い」はこの箇所のことです。

 残るところ、❷・❹・❺・❻・❼に「れる・られる」という「尊敬の助動詞」を付ければ、「敬意」を表すことが出来るわけです。「敬称を付けるべき所に敬称を落とすという誤り」というのはこれらの箇所のことです。

 朝日新聞や毎日新聞のように、「『皇室敬語』は必要なし」と主張するのも一つの考え方でしょう。私は古い人間で、それに与しませんが、しかし、使うなら、最初の一文だけなどという姑息なやり方ではなく、きちんとした敬語を使って欲しいというのが私の心からの願いです。