10月15日、毎日新聞朝刊に次の記事が出ました。

 「字件ですよ!」ー校閲現場から
 耳障りがよいー「気にさわる」で矛盾
 「秋の夜長なんていう、耳障りのいいフレーズ」「耳障りのいいだけのベートーベンなんて嫌だ」などという表現に出くわす。「耳障り」は「聞いていて気にさわること」で矛盾する。記事を執筆する際のルールを定めた毎日新聞用語集でも不適切とし、「耳に心地よい」「聞き心地のよい」と言い換えるよう記述している。
 一方で、「耳触り」との表記で見出し語に採用、「聞いた時の感じ」という語釈で「耳触りがよいことば」の用例を載せる辞書も出てきた。「手触り」「肌触り」などからの連想だろう。しかし、この解釈には無理があると言わざるを得ない。「手触り」や「肌触り」は実際に物に触れているが、耳の場合は接触していない。やはり避けたい表現だ。
 これが広まっていくと、従来の「目障りな存在」などとともに、「目触りのいい絵」といった表現が今後出てくるかもしれない。(中略)
 変わりゆく慣用句・表現で誤用の根絶はなかなか難しい。しかし、たとえ一時しのぎであっても「紙面の質」を守るために、一つずつ取り除いていきたい。

 新聞校閲部の意気込みを諒とし、敬意を表します。

 ただ、その記事には問題があります。

 「『耳触り』との表記で見出し語に採用、『聞いた時の感じ』という語釈で『耳触りがよいことば』の用例を載せる辞書も出てきた」の部分です。

 この、「耳触り」をもっとも早く立項したのは、『日本国語大辞典初版』(1975)だと思います。

 ❶みみざわり【耳触】聞いたときの感じ、印象。「耳ざわりのいい(悪い)音」
 
 ❷みみざわり【耳障】聞いていて、耳にさわること。聞いていて不愉快に感じたりうるさく思ったりすること。またそのさま。

 続けて、『新明解国語辞典』三版(1981)、『三省堂国語辞典』三版(1982)が同じように立項しました。以後、この❶・❷の二つのうち、❷のみを立項し、❶を誤用としたのは、『明鏡国語辞典』初版(2002)・二版(2013)と、『広辞苑』第六版(2009)だけです。

 すなわち、❶の立項は、ほとんどの辞書が認めているわけです。しかも、『日本国語大辞典』二版は、その用例として、夏目漱石、永井荷風、石川淳の❶の用例を記載しました。

 「一方で……「耳触りがよいことば」の用例を載せる辞書も出てきた」などと、悠長に認めているわけにいかない、はるか昔からの用例が確として指摘されているわけです。

 ただ、その場合の用字は、一律ではありませんでしたが、1975年以降、この❶・❷と分けて立項した、その漢字は、❶の場合「耳触り」、❷の場合「耳障り」と、必ず、使い分けられています。

 すなわち、「秋の夜長なんていう、耳障りのいいフレーズ」「耳障りのいいだけのベートーベンなんて嫌だ」という、この校閲部の記事の冒頭も、その漢字は、間違っているわけです。こんな表現に「出くわす」ことはありません。どちらも、「耳触り」のはずです。

 では、これからどうすればいいかですが、私にはわかりません。ただ、同音異義語を「漢字」によって区別してきた日本語として、この「耳触り」と「耳障り」の使い分けは、必然であり、誤用と決めつけて終わるとは思えません。

 「鑑」として、「誤用」をどう防ぐか、また、「鏡」として、日本語の現状を辞書にどう写すか、困難な課題であるということは、毎日新聞の校閲部とまったく同じ気持ちです。

 新聞の、間違いのない、強いリーダーシップに期待するところ大であります。