「辞書比較」の最後として、「煮詰まる」を取り上げます。

 A 小学館版『日本国語大辞典』初版(1975)は次のように立項します。

○ につまる【煮詰】 ①煮えて水分がなくなる、*破戒<島崎藤村>二一・一「朝は必ず生温い飯に、煮詰まった汁と決まって居たのだが」 ②議論や考えなどが出つくして、問題点が明瞭な段階になる。

 ②の「用例」が書いてないのが気に入りませんが、現在の最も大きな「国語辞書」として尊重して、その語釈をまず模範として提示します。

 とはいえ、やはり、国民的辞書としては、『新明解』、あるいは、『三国』などの小型辞典なので、その「煮詰まる」例を見坊先生の「語釈」で示しておきます。

 ○ につまる【煮詰まる】 ①煮えて水分がなくなる。 ②議論・交渉をかさねて、結論・終結に近づく。「問題が煮詰まる」
 ( 『三省堂国語辞典』第三版(1982)

 この二つの辞典が立項した、二つの項目①・②はほとんど同じであり、これが、この語の基本的意味だとしても誰も文句はないでしょう。

 この上に、③の語釈を加えて、それが「誤り」だとした、辞書が二つありました。

○ ①・②はAと同じなので省略。 【注意】(問題の解決処理に行き詰まる意に用いることもあるが、誤り)
 B 三省堂『新明解』国語辞典』第七版(2012)

○ ①・②は省略。【注意】近年、「議論が行き詰まる」の意で使うのは俗用で、本来は誤り。
 C 大修館版『明鏡国語辞典』第二版(2010)

 このB・Cは「誤り」の指摘でしたが、新しく③として、その意味を加えた辞書がありました。

 この語の意味に③を加えたのは、次の辞書でした。

○ ①・②は省略。 [俗]考えが行きづまって、頭がはたらかなくなる。
 D 三省堂版『三省堂国語辞典』第七版(2014)


 「中辞典」はどうでしょうか。

○ ①・②は省略。③ 転じて、議論や考えなどがこれ以上発展せず、行きづまる。「頭が、煮詰まって、アイデアが浮かばない。」
 E 岩波書店版『広辞苑』第六版(2008)
 「頭が、煮詰まって、アイデアが浮かばない」というのは作例です。

○ ①・②は省略。③ 時間が経過するばかりで、もうこれ以上新たな展開が望めない状態になる。「煮詰まった演奏」
 F 小学館版『大辞林』第三版(2006)

 「大辞典」の例です。

○ ①・②は省略・③ 問題や状態などが行きづまってどうにもならなくなる。 *1 朝霧(1950)<永井龍男>「隣り組を通じてなされた配給品の、日に日に細ることで、戦争の次第に辛く煮詰まって来てゐるのが知られた。」 *2 記念碑(1955)「煮つまって来た戦争がいろいろのことを煮つめて考えさせた」
 G 小学館版『日本国語大辞典』第二版(2003)
 この二つの用例は大切だから、原文を一応紹介します。
*1 永井龍男・筑摩書房版『現代日本文学全集』第81巻44頁)
*2 堀田善衛・筑摩書房版『現代日本文学全集』補巻30・203頁)

 まとめます。

 A 小学館版『日本国語大辞典』初版 「煮詰まる」の用例①・②を立項している

 B 三省堂『新明解国語辞典』第七版 ③の用法を「誤り」と明記。

 C 大修館版『明鏡国語辞典』第二版 ③の用法を「誤り」と明記。

 D 三省堂版『三省堂国語辞典』第七版 ③の用法を、「俗」として明示。

 E 岩波書店版『広辞苑』第六版 ③を明記、「作例」をつける。

 F 小学館版『大辞林』第三版 ③を明記。「作例」をつける。

 G 小学館版『日本国語大辞典』第二版 ③に「用例」を二つ挙げる。

【感想】 ❶ 「F」は、ブログ仲間である「素人学者」さんから教えられた例ですが、その用例、「煮詰まった演奏」が分かりませんでした。あるいは表記ミスかもしれないと、図書館でその「辞書」に当たりましたが、間違っていませんでした(「素人学者さんに感謝いたします)。おそらく、音楽の世界での業界語なのでしょうが、それを知らない者には理解できません。「煮詰まった演奏」とはどんな演奏なのか、ぜひ知りたく思っています。
 
❷ Gについて、永井龍男と、堀田善衛の文が用例で出てきたのには驚きました。この二つとも、太平洋戦争後の作品ですが、これを読んでいる時、我々戦中世代にとって、まったく違和感はありませんでした。

 この時点で、戦争はすでに「敗戦」という「結論」を得ているのです。だから、「戦争が煮詰まった」という表現が出てくるのです。③の用例ではなく、②の用例なのです。改めて、『日本国語大辞典』が、第二版で、この用例を加えたことに、かなり強い違和感を覚えています。(戦中派世代にとって)そして、何よりも、B・Cを参照するならば、この永井・堀田の文は「誤った表現」になってしまうでしょう。これはやはり問題です。『日本国語大辞典』は、次の第三版に向けて、もう一度検討し直して欲しいと願っておきます。

 最後になりましたが、一枚の用例カードを示します。

 昨日(2014・10・9)の「デイリースポーツ」新聞の23面に「乃木坂・松村『私は大バカ野郎』」という記事が載りました。

 その中で、松坂沙友理が次のようにコメントしています。

 「私が悩んで煮詰まってしまってるときに、町中で声を掛けられて。普段ならあり得ないんですけど、お食事に行きました」と、相手との出会いのきっかけが、〝ナンパ〟であったとことを説明。(以下略)

 「やったァ……」と思っているわけではありませんが、これが「煮詰まる」の新しい用法の、一枚のカードになるかもしれません。